
Preben Elkjær
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この人は?
プレーベン・エルケーア・ラルセン(Preben Elkjær Larsen, 1957年9月11日 -)はデンマーク出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(センターフォワード)。屈強な身体を活かしたドリブル突破と左足のシュートが特徴の選手で、「ゴールケア」や「野牛」などの愛称で呼ばれた。1984年にはバロンドールの投票で第3位、1985年には2位となった。 経歴 1977年、デンマークのVanløse IFからドイツ・ブンデスリーガ1部の1.FCケルンに移籍した。奥寺康彦とのポジション争いなどもあり主力に定着できず、1年半後にベルギーのジュピラー・プロ・リーグに属するKSCロケレンへ移籍 した。ロケレンで頭角を現し、「ロケレンの狂人」の異名を得た。 1984年、UEFA欧州選手権1984後に、レアルマドリードやACミランとの争奪戦を制し、セリエAのエラス・ヴェローナFCが獲得した。ここでハンス=ペーター・ブリーゲルらと共にリーグ戦初優勝に導いた。このシーズンのユヴェントス戦では、ユヴェントスDFのタックルによりスパイクが脱げたが、それでもゴールを決め、このゴールはキャリアを代表する印象深い得点の一つとなった。またこのゴールにより、シンデレラというニックネームも付けられた。 1998年に当時デンマーク・スーペルリーガに属していたヴェイレBKに移籍し、1990年に引退した。 代表 デンマーク代表としては1977年6月22日に行われたフィンランド代表戦でデビュー。1980年代中盤にはミカエル・ラウドルップと2トップを組み、1984年にフランスで開催されたUEFA欧州選手権1984では2得点をあげてベスト4進出、1986年にメキシコで開催された1986 FIFAワールドカップでは欧州予選で単独トップとなる8ゴールを決め予選突破に貢献すると、本大会でもグループリーグ第2戦のウルグアイ代表戦においてハットトリックを決めるなど4得点をあげて決勝トーナメント進出に貢献した。なお、ワールドカップではベスト16でスペイン代表と対戦し1-5と大敗を喫したが、自身はこの大会で評価を高めた。 その後、1988年に西ドイツで開催されたUEFA欧州選手権1988に出場し、同年6月14日に行われたグループリーグの西ドイツ代表戦を最後に代表から退いた。デンマーク代表での通算成績は国際Aマッチ69試合出場38得点。 引退後 引退後、1995年から1996年までデンマーク・スーペルリーガ所属のシルケボーIFで監督を務めた。 その後は解説者に転身し、ブライアン・ラウドルップらと共にUEFAチャンピオンズリーグの解説を務めている。