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ポルト(ポルトガル語: Porto [ˈpoɾtu] ( 音声ファイル)、英語: Porto, Oporto)は、ポルトガル北部の港湾都市。首都リスボンに次ぐポルトガル第二の都市。世界遺産にも登録された同国屈指の観光都市。ポルト都市圏では、人口は約160万人を数える。 名称 現地公用語であるポルトガル語ではポルト(ポルトガル語: Porto)と呼称される。 一方、英語ではポルト(英語: Porto)とともに、オポルト(英語: Oporto)の名称で知られている。これはポルトガル語の定冠詞"o"を含めた"O Porto"が一語として定着したものとされる。 歴史 ポルトの創設は5世紀以前にさかのぼり、ローマ帝国時代からの港町ポルトゥス・カレ(ラテン語でPortus Cale、「カレの港」の意)に起源をもつ。だが、ローマ以前のケルト文化の名残であるシタデルも市外の中心にも残存している。ローマ時代の周辺をコンダドゥス・ポルトカレンシスといい、ここに成立した王国がポルトガル王国となった。ポルトガルの名はこれに由来する。 ポルトを含む一帯はイスラーム勢力に占領されたこともあったが、12世紀フランス王の一族であるアンリ・ド・ブルゴーニュがレコンキスタで奪回した。 1387年、ジョアン1世とイングランド王エドワード3世の第4子であるジョン・オブ・ゴーントの娘フィリパ・デ・レンカストレとの結婚式がポルトで行われた。イギリスとポルトガルの同盟関係はこの時代から始まっている。 14世紀から15世紀にかけての大航海時代、ポルトで生産された船団はポルトガル海軍の発展に大いなる貢献をした。1415年に、ジョアン1世の子供であるエンリケ航海王子はポルトを出発し、モロッコの地中海に面する港町セウタを攻撃した。エンリケ航海王子によるセウタ征服が、それ以後のポルトガルの海外への雄飛の出発点であった。 18世紀から19世紀にかけてポルト港から特産ワインがイングランドに盛んに輸出され、英語でポートワイン(ポルト・ワイン)と呼ばれて有名になった。 1976年1月1日、左派勢力のデモが市内にある陸軍営倉になだれ込もうとしたところに治安警察軍側が発砲、死者3人、死傷者15人を出した。営倉には前年11月25日に反乱を起こした左派兵士約100人が収容されていた。 地理 ポルトガル北部、ポルト県の県庁所在地である。ポルト市は市域が狭いため、郊外都市のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアの方が人口が多くなっている。首都リスボンの北300キロメートルに位置する。 大西洋に流入するドウロ川北岸の丘陵地帯に築かれ、河口に近い。ドウロ川には、サン・ジョアン橋、マリア・ピア橋、インファンテ橋、ドン・ルイス1世橋、アラビタ橋など6本の橋がかかる。

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