
Pierre Desproges
このスターに新着があれば通知でお届け
日別に見る
この人は?
ピエール・デプロージュ (Pierre Desproges, 1939年5月9日 - 1988年4月18日) は、ブラックユーモア、アンチコンフォーミズム(反体制順応主義、反体制)、不条理のユーモア(ナンセンス文学およびカミュ、カフカ等の不条理の文学における「ナンセンス」)で知られるフランスのユーモリストである。公演のほか、テレビ・ラジオ番組にも多数出演し、一世を風靡した。 文学的センスに溢れた辛辣なユーモアで、社会の既成概念を打ち破るために、当時の他のユーモリストが避けたがるテーマも敢えて取り上げている。「何もかも笑い飛ばしていいが、誰彼なく笑いの種にしていいわけではない」という彼の言葉は、彼のユーモリストとしての姿勢を最もよく表している。 日刊紙『ロロール (L'Aurore; あけぼの)』の記者であった彼はテレビ局TF1のジャック・マルタン (Jacques Martin) の風刺テレビ番組「チクリ屋 (Le Petit Rapporteur)」でデビューし、ラジオ番組では特に「フランス・アンテル (France Inter)」の「公然たるたわごとの裁判 (Tribunal des flagrants délires)」で風変わりな検察官を演じた。また、テレビ局FR3の「サイクロペード氏の必要な1分間 (La Minute nécessaire de monsieur Cyclopède)」という1分間のコント番組を担当した。 経歴 生い立ち パリ郊外のパンタンに生まれたデプロージュは、子供時代の大半をパリで過ごした。子育ては主にパリの「プチ・ブルジョワ」出身の母親の役割。小学校教員の父親は当時、旧フランス植民地での教育に携わっていたため、デプロージュは父親と一緒にラオスのルアンパバーン郡で1年間、コートジボワールで3年間(うち、アビジャンで1年間)を過ごすことになった。 ヴァカンスはいつもシャリュ(オート=ヴィエンヌ県、リムーザン地域圏)の祖父母の家で過ごした。彼の唯一の小説『倒れる女 (Des femmes qui tombent)』はこの小さな町にインスピレーションを得たものである。 自称「ディレッタント」の学生だったデプロージュは、バカロレアに落第しているが、母親から受け継いだ批判精神や知的好奇心は依然として旺盛だった。 アルジェリアでの28か月間兵役に服し、1959年に除隊したが、この兵役の経験は彼の個人主義的傾向を強めることになった。彼は後に「内務班で生活する前から人間嫌いだったが、「屁のコンクール」をするような人間と28か月も起居を共にした経験から、自分のなかの集団嫌いを確認することになった」と話している。