
ピエール・ド・クーベルタン(Pierre de Coubertin)
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クーベルタン男爵シャルル=ピエール・ド・フレディ(フランス語: Charles-Pierre de Frédy, baron de Coubertin, 1863年1月1日 - 1937年9月2日)は、フランスの教育者であり、古代オリンピックを復興させ近代オリンピックの基礎を築いた創立者である。一般にピエール・ド・クーベルタン男爵と呼ばれる。 経歴 1863年1月1日午後5時、パリ7区のフォーブール・サンジェルマン西側界隈ウディノ通り (Rue Oudinot) 20番地の自宅で、父シャルル=ルイと母アガート=マリー=マルセルの第4子として生まれた。両親ともに貴族の家系であった(詳細は家族の項を参照)。 クーベルタンは、この当時設立されたイエズス会系の通学式中等学校である聖イグナチウス自由学園(Ecole libre Saint Ignace)に7年間通学した。1880年に文学の、1881年には科学のバカロレアをそれぞれ取得した。彼は両親の希望もあってサン・シール陸軍士官学校に入学したが、半年で退学した。当時の貴族の振る舞いとして実業に関わることを許されなかった彼は、父の希望を渋々聞き入れて⾃由政治科学学院に入学した。この間、彼は何度かイギリスへ渡航し、特にラグビー校を訪問して強い感銘を受け、スポーツに関わるようになった。英国パブリックスクールの教育に興味を持ち、ワーテルローの戦いでイギリスがフランスに勝ったのは、パブリックスクールの心身ともに鍛える教育の成果との記述を残している。 近代オリンピックの父 歴史書のオリュンピアの祭典の記述に感銘を受け、「ルネッサンス・オリンピック」の演説の中で近代オリンピックを提唱した。賛同者によって国際オリンピック委員会(仏: CIO、英: IOC)が設立され、1896年のアテネオリンピックの開催へとつながった。 1912年、第5回ストックホルム大会の芸術競技文学部門で、クーベルタンはジョルジュ・オロー(Georges HOHROD)とM.エシュバッハ(M.Eschbach)という筆名を用いて『オド・オ・スポール(Ode au Sport、スポーツ賛歌の意)』と題されたドイツ語・フランス語の詩をエントリーした。この作品は金メダルを獲得した 。IOCは作品とメダルの帰属を公式にクーベルタンのものとしているが、筆名を使うだけでなくドイツからのエントリーとしていたため、メダル受賞者の国籍はドイツのままとなっている。 また、彼の考案・提唱によって近代五種競技が1912年のストックホルムオリンピックから種目に採用された。