
フィリップ・レーナルト(Philipp Lenard)
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フィリップ・エドゥアルト・アントン・フォン・レーナルト(ドイツ語: Philipp Eduard Anton von Lenard, 1862年6月7日 – 1947年5月20日)はハンガリーのポジョニ 出身のドイツの物理学者である。ハンガリー名レーナールド・フュレプ・エデ・アンタル(Lénárd Fülöp Ede Antal)。陰極線の研究で1905年にノーベル物理学賞を受賞した。また、熱心な反ユダヤ主義者だったことでも知られている。 前半生 1862年7月7日、オーストリア帝国のハンガリー王国プレスブルク/ポジョニ(現在のスロバキアのブラチスラヴァ)に生まれる。両親はチロル州から17世紀に移住してきたドイツ人の家系で、ワイン商を営んでいた。レーナルトは Royal Hungarian Gymnasium でハンガリー語を学んだが、自伝でも書いているようにその経験(特に Virgil Klatt という先生の影響)が人格形成に大きく影響している。若いころのレーナルトは熱心なマジャル人国家主義者だった。言語としてはハンガリー語が好きで、主に居住していたハンガリー地方にドイツ風の地名をつけることには激しく反対した。自らはハンガリー風に "Fülöp Lenard" あるいは "Lenardi" と名前を綴っていた。1880年、ウィーンとブダペストで物理学と化学を学んだ。1882年にはブダペストを離れプレスブルクに戻ったが、ブダペスト大学での助手の職につこうとして断わられ、1883年にハイデルベルクに引っ越した。ハイデルベルクでは有名なロベルト・ブンゼンに師事し、1学期だけベルリンのヘルマン・フォン・ヘルムホルツに学び、1886年に博士号を取得した。1887年、ブダペストでエトヴェシュ・ロラーンドの助手となる。その後、アーヘン大学、ボン大学、ヴロツワフ大学、ハイデルベルク大学 (1896–1898)、キール大学 (1898–1907) に勤め、1907年にはハイデルベルク大学に創設されたフィリップ・レーナルト研究所の所長に就任した。1905年にはスウェーデン王立科学アカデミーの会員、1907年にはハンガリー科学アカデミーの会員に選ばれている。 初期には、燐光やルミネセンス、炎の伝導率なども研究していた。