
パルヴェーズ・ムシャラフ(Pervez Musharraf)
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パルヴェーズ・ムシャラフ(ウルドゥー語: پرویز مشرف、英語: Pervez Musharraf、1943年8月11日 - 2023年2月5日)は、パキスタンの軍人、政治家。日本の文献、資料やメディアでは「ペルベズ・ムシャラフ」「パルヴェーズ・ムシャッラフ」と表記されることもある。 略歴 パキスタン陸軍参謀総長・兼・統合参謀本部議長に在任中の1999年10月、当時首相だったナワーズ・シャリーフとの確執からクーデターを敢行し、行政長官(Chief Executive、最高行政官、首相に相当)として最高権力者となった(2001年まで大統領ムハンマド・ラフィーク・ターラルが国家元首として続投)。その後、パキスタンの大統領に就任した (2001年6月20日 - 2008年8月18日)。大統領就任までは、軍事政権の最高意思決定機関である国家安全保障会議の議長も兼ねていた。 親米派として知られる。クーデターで実権を握ったが、腐敗した当時の政権に嫌気が差していた国民に支持されていた。が、自身の政権末期も批判が高まり、情勢は混迷した。 その後、イギリスのロンドンで事実上の亡命生活を送り、2013年4月に帰国。2016年から病気療養のため中東ドバイに滞在し、事実上の亡命生活を送っていた。2019年12月17日には大統領時代に憲法を停止したことが国家反逆罪にあたるとしてパキスタンの裁判所より死刑判決が下ったものの、裁判が違法であったとして高等裁判所が2020年1月13日に死刑判決を撤回し、裁判をやり直すよう命じた。 2023年2月5日、ドバイの病院で死去した。79歳没。難病のアミロイドーシスを患い闘病していたとされる。 生い立ちと家族 ムシャラフはイギリス領インド、オールド・デリー、ダリヤーガンジで、中流家庭の三人兄弟の次男として1943年8月11日に生まれた。1947年のインド・パキスタン分離独立によって、一家はカラーチーへ移住した。父親はインドのアリーガル大学出身の外交官で、パキスタン大使館館員としてトルコに1949年から1956年まで駐在した。したがってムシャラフも幼年時代をトルコで過ごした。母親は大学で英文学を修め、1986年に退職するまで国際労働機関(ILO)に勤務した。ムシャラフの妻はセヘバーと言う名で、パンジャーブ州オーカーラー出身。夫妻には一男一女があり、4人の孫がいる。 1958年にムシャラフはカラーチーの聖パトリック高校を卒業し、ラホールのフォアマン・クリスチャン・カレッジで学んだ。彼はクエッタの指揮幕僚学校とパキスタン国立防衛大学を卒業した後、イギリスの王立防衛大学で学んだ。教官は彼を「有能で自己の意見をはっきり言える将校である。本校で価値のある印象を創り上げた。彼の祖国は有能な軍人を得て幸運である」と評価した。