
ペリクレス(Pericles)
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この人は?
ペリクレス(ペリクレース、古希: Περικλῆς、古代ギリシア語ラテン翻字: Periklē̃s、紀元前495年? - 紀元前429年)は、古代アテナイの政治家・将官であり、アテナイの最盛期を築き上げた重鎮として有名である。また、彼と愛人アスパシアとの間に生まれた庶子で、後に軍人になった小ペリクレスと区別して大ペリクレスとも呼ばれる。 生涯 ペリクレスは紀元前495年頃にアテナイで生まれた。父は紀元前479年のミュカレの戦いの指揮官クサンティッポス、母はクレイステネスの姪であり、アナクサゴラスの弟子でもあった。 紀元前462年、ペリクレスは貴族派のキモンが出征中の不在を狙って、民主派のエフィアルテスとともにアレオパゴス会議の実権を奪い、全アテナイ市民による政治参加を促進した。翌年、キモンが陶片追放によって正式に国外追放されると、以後アテナイの最高権力者の地位を独占した。 ペリクレスは、アテナイの慣習に従い、彼の最も近い親戚の1人と結婚し、2人の息子、パラロスとクサンティッポスが生まれた。紀元前445年頃、ペリクレスは妻と離婚した。彼女の親戚の同意を得て、彼女を別の男と結婚させた。ペリクレスの最初の妻の名前は知られていない。ペリクレスと結婚する前はヒッポニコス3世の妻であり、この最初の結婚からカリアス3世の母親であったということが唯一の情報である。 離婚後、ペリクレスはアスパシアと長期的な関係を築き、二人の間には息子の小ペリクレスが生まれた。アスパシアは多くのアテナイの社交界の名士から高い評価を受けていたが、非アテネ人であったがため、多くの人々はペリクレスとの関係を批判した。政治的野心を持っていたペリクレスの息子、クサンティッポスでさえ、父親を誹謗中傷することを躊躇しなかった。 前444年から430年までの15年間、ペリクレスは毎年連続ストラテゴス=「将軍職」に選出され、アテナイに全盛時代をもたらした。また、キモンが古くからの領地による富の再配分を行なっていたのに対し、ペリクレスは自ら積極的にアゴラでの売買を行い、アテナイが商業的なアゴラを推進するきっかけともなった。 この頃、ペルシア戦争に勝利したアテナイは全盛時代を迎えていた。大国ペルシアの脅威が薄れると、デロス同盟の盟主であったアテナイはその同盟資金を自己の繁栄のために流用するようになった。デロス同盟は対ペルシア防衛機関という本来の主旨を失い、いわゆる「アテナイ帝国」を支える機関へと変質を遂げていたのである。ペリクレスはデロス島において管理していた同盟資金をアテナイでの管理に移し、パルテノン神殿などの公共工事に同盟資金を積極的に流用してアテナイ市民の懐を潤した。