
オマル・アル=バシール(Omar al-Bashir)
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オマル・ハサン・アフマド・アル=バシール(アラビア語: عمر حسن أحمد البشير, ラテン文字転写: Omar Hasan Ahmad al-Bashīr, 1944年1月1日 - )は、スーダンの政治家、軍人。1989年にクーデターによって軍事政権を成立させて政権を掌握。30年にわたり同国大統領として政権の座を維持してきたが、2019年4月に国防軍にクーデターを起こされ失脚した(2019年スーダンクーデター)。また、与党国民会議の議長(党首)も務めた。2003年から続くダルフール紛争での集団虐殺に関与したとして国際刑事裁判所から逮捕状が出されている。日本国内のメディアでは「バシル大統領」と表記・呼称されることが多い。 1989年のクーデターでアフマド・アル=ミルガニーに代わり国家元首となったバシールは、血と恐怖、そして独裁体制で国を統治。熱烈な反米・イスラム主義者で、イスラム教徒からの支持を政権の基盤としていた。上記のダルフール紛争や人権蹂躙、イスラム原理主義組織の擁護などでアメリカおよび新冷戦における西側諸国群からテロ支援国家にも指定されていた(なおスーダンで大量に採取できるアラビアゴムに関しての貿易は禁輸せず、むしろ輸入を増加させていた位である)。因みに2017年以降バシールとドナルド・トランプ政権との間で相互に経済制裁の解除、バシール政権側は北朝鮮との貿易・軍事関係の全面的断絶を実行、関係改善の傾向が生まれていた。 バシール体制のもと、スーダンは中国やロシアを始めとする石油の採掘により首都ハルツームに高層ビルが建ち並ぶなど経済成長したものの、いまだ最貧国のままであり、かつ2011年の南スーダン独立により油田の殆どが最南部や南部に埋蔵されていたスーダンは経済的に不安定となった。この事情から、バシール政権の安定化及びスーダン経済の建て直しとして、石油輸出のパイプラインに高関税を掛ける事で一命を取り留めたものの、一時的な措置であるが故に南北での新たな火種、軋轢となった。 来歴 生い立ち 現在のスーダン・ナイル川州にある小村ホシュ・バンナガに生まれる。母語はアラビア語 であり、いわゆるアラブ系スーダン人である。初等教育を終えた後、家族とともに首都ハルツームに移る。甥の話では、中等教育を受ける初日に柄の悪い生徒に絡まれたが、すぐに撃退したという。 軍人時代 1960年にスーダン軍に入隊。1966年にエジプトの首都カイロの士官学校を卒業。落下傘部隊で士官を務め、1973年にはエジプト軍の一員として第四次中東戦争に従軍。この際の経験が後の政治家の歩みを決める出来事になったとも先述の甥が語っている。