
モリエール(Molière)
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モリエール(フランス語: Molière)として知られる、ジャン=バティスト・ポクラン(フランス語: Jean-Baptiste Poquelin、1622年1月15日 - 1673年2月17日)は、フランス王国ブルボン朝時代の俳優、劇作家。ピエール・コルネイユ、ジャン・ラシーヌとともに古典主義の3大作家の1人。悲劇には多くを残さなかったが、鋭い風刺を効かせた数多くの優れた喜劇を制作し、フランス古典喜劇を完成させた。 自筆原稿や手紙は見つかっていない。また、南仏修業時代のモリエールの署名とされるものには同じ筆跡が一つとして無いなど、その生涯、特に青年期に関しては不明な点が多い。極めて裕福な家庭に生まれ育ち、青年期に演劇を志して劇団を結成するも運営に失敗、パリから逃げ出すように13年間の南フランス演劇修業の旅に出た。その甲斐あってパリ帰還後に大成功を収め、自身が率いる劇団はフランス国王の寵愛を獲得するまでに至った。彼が率いていた劇団がコメディ・フランセーズの前身であることから、同劇団は「モリエールの家(La maison de Molière)」という別名を持つ。 生涯 青年期 1622年1月15日に現在のパリのサントノーレ通りに面した家で、富裕な商人であるジャン・ポクラン(Jean Poquelin、父27歳)とマリー・クラッセ(Marie Cressé、母20歳)の間に長男として生まれる。ポクラン家は先祖代々商業を営んでおり、モリエールの祖父の代からは室内装飾業者を営んでいた。母マリー・クラッセもパリの裕福な商家の出身で、一通りの読み書きの心得もあったので、無学文盲の多い当時の庶民階級の女性としては、かなり高度な教養を身につけていた。 モリエールがどのような教育を受けたのかは、同時代人による証言がいくつかあるものの、それらが食い違っているため、本当のところはよくわかっていない。以下の教育に関する記述もあくまで一説である。 1631年ころ、ジェズイット派の運営するコレージュ・ド・クレルモンへ入学。同年、父親ジャン・ポクランが「王室付き室内装飾業者」という肩書を買い取った。1632年、母マリー・クラッセが死去。マリーの財産目録によれば、モリエールが生まれてから10年で一家の財産が3倍に膨れ上がっている。翌年父親がカトリーヌ・フルーレットと再婚し、継母となるが、1636年に死去している。