StarFeed
宮本武蔵

宮本武蔵(Miyamoto Musashi)

日別に見る

この人は?

宮本 武蔵(みやもと むさし)は、江戸時代初期の剣術家、大名家に仕えた兵法家、芸術家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘が有名である。 後世には、演劇・小説・漫画・映画やアニメなど様々な映像作品の題材になり、現代では「剣豪」または「剣聖」と称されている。特に吉川英治の小説『宮本武蔵』が有名であるが、史実と異なった創作が多い。外国語にも翻訳され出版されている自著『五輪書』には十三歳から二十九歳までの六十余度の勝負に無敗と記載がある。夢想権之助は武蔵と勝負し1度目は負け、晩年に再度勝負し勝利したと称しているが裏付ける文献はない。当初は「円明流」を称したがのちに「二刀一流」、さらに「二天一流」を名乗ることとなるが、最晩年の『五輪書』でも「二天一流」に混じって「二刀一流」の表記が散見される。宮本武蔵といえば二刀流と考えられがちだが、必ずしも二刀にこだわることを主張しているわけではなく、『五輪書』では多数の敵や立てこもる敵と戦う時に二刀が良いことや、実戦では両手で太刀を扱えない場面が多いので片手で太刀を振るのに慣れておくべきこと、さらに命を賭けた戦いでは持っている道具を余すことなく役立てるべきことが述べられている。 絵画や武具・馬具制作も頻繁にしていた過去があり、国の重要文化財に指定された『鵜図』『枯木鳴鵙図』『紅梅鳩図』をはじめ『正面達磨図』『盧葉達磨図』『盧雁図屏風』『野馬図』といった水墨画や鞍、木刀などの工芸品が各地の美術館に収蔵されている。 島田美術館が所蔵する有名な肖像画は作者不詳だが、身体を緩めている様は『五輪書』が説く極意に一致しており、自画像とする説もある。 名前 本姓は藤原氏、名字は宮本、または新免。幼名は弁之助/弁助(べんのすけ)とされることがあるが史料的裏付けはない。通称(百官名)は武蔵、諱は玄信(はるのぶ)である。号は二天、また二天道楽。著書『五輪書』の中では新免武蔵守藤原玄信と名乗っている。 熊本市弓削の墓碑は「新免武蔵居士」、養子・宮本伊織が武蔵の死後9年目の承応3年(1654年)に建てた「新免武蔵玄信二天居士碑」(以下、小倉碑文)には「播州赤松末流新免武蔵玄信二天居士」とある。 武蔵死後71年目の『本朝武芸小伝』(1716年)で政名なる名が紹介された。これを引用した系図や伝記、武蔵供養塔が広く紹介されたことから諱を「政名」とする武蔵の小説や紹介書が多数あるが、二天一流門弟や小倉宮本家の史料にこの「政名」は用いられていない。逆に史的信頼性が完全に否定された武蔵系図等で積極的に用いられている。

最近あったこと

まだ新着なし — 数分ごとに確認します。