
三浦光子(Mitsuko Miura)
三浦充子
日別に見る
この人は?
三浦 光子(みうら みつこ、1917年1月17日 - 1969年6月14日)は、日本の女優であり、生前は戦後の国際結婚の「第1号」と称されて注目を集めたこともあった。 来歴 東京市牛込出身。牛込区の余丁町小学校を卒業後に三崎英語学校を経て、大妻高等女学校(現・大妻中学校・高等学校)に進学した。 1935年(昭和10年)日劇に入団、日劇ダンシングチームでの活躍が松竹の目に留まりスカウトされる。1938年(昭和13年)松竹大船撮影所に入社する。桑野通子・高杉早苗・高峰三枝子らが主演した音楽映画『蛍の光』(1938年)が第1回出演作品となり、デビューを果たした。以後松竹大船の映画作品に出演し、スター女優の一人に成長する。なお、1944年にはとある映画監督との間に隠し子を設けている。 終戦直後の1945年、松竹の撮影所を訪問した4歳下の日系二世であり、米軍中尉であるジョージ郷田に一目惚れし、翌1946年に国際結婚・渡米したが(所謂戦争花嫁)、夫は合衆国の大学への進学を示唆してほどなく除隊した。夫の「実家はロサンゼルスに大農場とトウガラシ加工の大工場を持っている」という甘言を信じたが、解離した実情、貧困、性格に難のある姑との関係性、夫の無関心などに悩まされて出奔を決意し、言語の壁に直面しながらも帰国代を捻出するために皿洗いやエレベーターガールなどを経験した。 光子の近況を知った大映社長の永田雅一による援助(借金)を経て帰国と離婚を果たす。離婚協議の際にも夫との実際の対面はなく、夫の代理人との対応の中で実際には夫側の重婚であったことを知る。帰国後再び映画界に復帰する。 1961年に三浦充子と改名し、翌1962年に引退した。引退後は事業家になる。 1969年6月14日、直腸がんで死去し、喪主は上述の隠し子が務めた。 主な出演 映画 螢の光(1938年) 皇軍大捷の歌 永遠の感激(1938年) 或る女の道(1938年) 按摩と女(1938年)ハイキングの女 友情を盗む勿れ(1938年) 純情哀詩・宵待草(1938年) わが家に母あれ(1938年) 希望に立つ(1938年) 家庭日記(1938年) 女の友愛(1938年) 第一線の人々(1938年) 頑張り娘(1938年) まごころ繁昌記(1939年) 女性の戦ひ(1939年) 若い人の立場(1939年) 女こそ家を守れ(1939年) 結婚天気図(1939年) 大陸の花嫁(1939年) 続愛染かつら(1939年) あこがれ(1939年) 胸に咲く花(1939年) 母を讃へる歌(1939年) 素晴らしき哉彼女(1939年) 黒潮(1939年) 姉の秘密(1939年) 花嫁競争(1939年) 愛染かつら 完結篇(1939年)未知子の友人 わが子の結婚(1939年) 新妻問答(1939年) 女の気持