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エミール・ヴェルハーレン

エミール・ヴェルハーレン(Émile Verhaeren)

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エミール・アドルフ・ギュスターヴ・ヴェルハーレン(Émile Adolphe Gustave Verhaeren、1855年5月21日 - 1916年11月27日)は、19世紀後半から20世紀初頭のベルギーの詩人・劇作家。フランス詩壇で活躍し、ポール・ヴェルレーヌ、アルチュール・ランボーらとともに象徴派の一翼を担った。 当初自然主義によっていたが、やがて独自の境地に達し、人間讃美を主題とした新領域を開拓した。 生涯 幼少期から学生時代 1855年3月21日、ベルギー北部、アントウェルペン州のシント・アマンスに生まれる。家はフランス語を話す中流家庭であったが、ヴェルハーレンはフラマン語(オランダ語)をしゃべっていたという。フラマン語はアントウェルペン州を含むフランデレン地域では広く用いられており、今日のベルギーではフランス語と並ぶ公用語の地位を獲得しているが、当時のベルギーはフランス語偏重で、フラマン語は学校では教育していなかった。 11歳の時にヘントの全寮制修道学校に入学し、フランス語を習得。のちにフランス語で詩を書く基礎を作る。 卒業後、ルーヴェン大学(現在のルーヴェン・カトリック大学及びルーヴァン・カトリック大学)へ進学し、法学を修める。この時学生新聞で活躍したのが彼の文筆活動の始まりであった。 これがきっかけとなって芸術活動に傾倒するようになり、やがて同じ志を持つ学生たちとともに急進的な芸術雑誌『若きベルギー』の同人となった。 芸術評論活動 法学で博士号を得た後、ヴェルハーレンは1881年から3年間訓練生となった。この時、急進的な詩人や画家などと交流を深めるようになる。 当時ベルギーの芸術界では、改革派の芸術家たちが作った芸術同人「二十人会」の活動が震撼をもたらしていた。世間が賛否両論に分かれる中、ヴェルハーレンは積極的に彼らの活動に賛同し、『若きベルギー』誌や二十人会の機関誌『現代芸術』誌で彼らを評価する記事を書き、注目を集めた。 詩人へ転身 この時期から彼自身も詩を書くようになり、1883年には処女詩集『フランドル景物詩』を発表した。自然主義に基づいたこの詩集は時折挑発的とも思える内容を持ち、一部論争を招いたものの、詩壇へのデビューには充分な内容であった。 しかしこの直後よりヴェルハーレンは体調がすぐれず、1886年の第2詩集『修道士たち』で成功がみられなかったこともあり、一時詩人としての活動が危惧されたが、ほどなく立ち直っている。 この時期に出された代表的な詩集として『夜』『崩壊』(1888年)・『黒い炬火』(1890年)の「黒の三部作」がある。この「黒の三部作」では退廃的な方向性を確実なものとしており、後の象徴派詩人としての活躍の一端を垣間見させるものとなっている。

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