
ミシェル・バチェレ(Michelle Bachelet)
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ベロニカ・ミチェル・バチェレ・ヘリア(Verónica Michelle Bachelet Jeria [beˈɾonika miˈtʃel βatʃeˈlet ˈxeɾja]、1951年9月29日 - )は、チリの政治家、外科医、小児科医。女性初の同国大統領を2期務めた(第34、36代)。南米諸国連合初代議長(2008年5月23日 - 2009年8月10日)。 経歴 出生~亡命 サンティアゴ生まれで、先祖は19世紀なかばにフランスから移民してきた。父親はチリ空軍のアルベルト・バチェレ准将。1970年にチリ大学医学部に入学したが、軍人ながらサルバドール・アジェンデ政権に協力した父親が1973年9月11日のチリ・クーデターの際アウグスト・ピノチェトに逮捕され、1974年3月に拷問死を遂げた。彼女自身も1975年、母親とともに逮捕され拷問を受けた後、オーストラリアに亡命、その後旧東ドイツに移ってフンボルト大学医学部に入学した。1978年1月にはカール・マルクス大学(現ライプツィヒ大学)でドイツ語を研究する。スペイン語(母国語)、英語、ドイツ語、フランス語を使用する。 反政府活動 1979年、軍政下のチリに帰国しチリ大学に復学、反政府活動を再開する。1983年医学部を卒業後、一時期は反政府武装ゲリラ組織であるマヌエル・ロドリゲス愛国戦線と関係があったといわれるが、その後合法的な活動に転じ、1990年の民政復帰とともに保健省に入り、汎アメリカ保健機構・世界保健機関などで活動する。一方で1996年以来、国防問題への関心を強め、アメリカのインター・アメリカ国防大学に留学したのをはじめ、国防・軍事の研究を深めた。 政治活動(厚生大臣・国防大臣・大統領) 1970年代以来、チリ社会党 (PS) の党員であり1995年中央委員、リカルド・ラゴス政権の下で2000年から2002年まで厚生大臣、さらに2002年から2004年まで国防大臣を務めた。女性の国防大臣は、チリのみならずラテンアメリカ史上初である。しかし2004年9月に大統領選出馬準備のため国防大臣を辞任した。大統領選挙にはコンセルタシオン・デモクラシアから立候補した。2005年12月の第1回目投票で得票率45%あまりで1位となり、2006年1月15日に行われた決選投票で過半数を制し、チリ史上初の女性大統領に当選し、第34代大統領に就任した(2010年3月11日まで)。バチェレの大統領就任から1年も経過しない2006年12月10日にピノチェトが死去したが、この際には国葬を断固拒否する一方で、陸軍による葬式は認めている。自由貿易を進め、2006年にラテンアメリカでは初の中華人民共和国とのFTAに批准し、2007年には日本とのEPAも実施させた。