
ミシェル・プラティニ(Michel Platini)
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ミシェル・プラティニ(Michel Platini, 1955年6月21日 - )は、フランス出身の元サッカー選手、元サッカー指導者。欧州サッカー連盟 (UEFA) 前会長、元国際サッカー連盟 (FIFA) 副会長、フランスサッカー連盟 (FFF) 副会長。 サッカーフランス代表のエースとして1984年のUEFA欧州選手権において同国に初の国際タイトルをもたらした1980年代を代表するサッカー選手の一人 であり、1950年代のレイモン・コパや1990年代のジネディーヌ・ジダンと共にフランス史上最高のサッカー選手と称されている。優れたリーダーシップで攻撃陣を率いたことから日本では「将軍」と呼ばれていた。愛称「Le Roi」は直訳すれば「王」だが、日本では「将軍」と意訳されることが慣例化している。 生い立ち 1955年6月21日、ドイツの国境に近いロレーヌ地方ムルト・エ・モゼル県のジュフという貧しい製鋼の町にイタリア系移民の家庭の子として生まれた。元々のプラティニ家はイタリアのピエモンテ州とロンバルディア州の州境となっているノヴァーラ山の中腹にある町、アグラーテ・コントゥルビアの出身だったが、祖父のフランチェスコ(左官工)が職を求めてロレーヌに移民した。プラティニ家は名字からイタリア的アクセント(プラティーニ)は取り払われ最後の「i」にアクセントが付けられるプラティニに変わっていった。 数学教師であり、ASジェフという地元のクラブのサッカー選手でもあった父のアルド・プラティニの影響でサッカーを始めると、父の教えもあって早くからサッカー選手としての才能を示し始めた。1969年に行われたクープ・ガンバルデッラ(Coupe Gambardella)というユース大会での活躍がリーグアンのFCメスのスカウトの目を引き練習に参加することになった。契約寸前まで話が進んだが、心肺能力テストの結果は担当医師の要求を満たすことができるものではなく、呼吸器系と心臓に問題があるとして不合格となった。1972年6月22日に17歳でASナンシーと練習生契約を結ぶことになった。