
孟子(Mencius)
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この人は?
孟子(もうし、簡体字: 孟子、拼音: Mèngzǐ、紀元前372年3月12日 - 紀元前290年12月21日)は、中国戦国時代の儒学思想家。姓は孟、諱は軻(か)、字は子輿(しよ)と伝わる。「子」は先生という意味で尊称で、後世に亞聖(あせい)とも称される。孔子の孫である子思の門人に学業を受けたとされ、朱子学では孔子に次いで重要な人物とされる。そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。 言行は『孟子』に纏(まと)められている。性善説を主張し、仁義と民本による王道政治を目指した。 経歴 孟子は鄒国(現在の山東省済寧市鄒城市)の人で、その母が孟子を育てた時の話が有名である。最初は墓地の近くに住んでいたが、やがて孟子が葬式の真似事を始めたので母は家を移した。移った所は市場の近くで、やがて孟子が商人の真似事を始めたので母は再び家を移した。次に移った所は学問所の近くで、やがて孟子が学問を志すようになったので母はやっと安心したという。この話は孟母三遷として知られ、史実ではないとされているが、子供の育成に対する環境の影響に関して良く引き合いに出され、鄒城市には孟母三遷祠が建てられている。孟子の母は、他にも孟母断機の故事で知られている。孟子が学業を途中で辞めて家に帰って来たとき、母はちょうど機を織っていたが、その織物を刀で切断し「お前が学問を途中で辞めるのは私が織物を断ち切るのと同じことだ」と言って諫めた。孟子は再び勉学に励んだ。以上の話は漢代の『韓詩外伝』巻9や『列女伝』巻1に見える伝説である。 『史記』孟子荀卿列伝によれば、孟子は孔子の孫である子思の門人に学んだ。子思に直接学んだという説もあるが、年代が合っていない。 彼は、自分のことを王の師匠であり、賓客である、と考えていたので、遊歴するときには数十台の車と数百人の従者を従えていた。諸侯と同等である、というプライドを持っていたのである。 かつて魏の恵王が秦や斉に奪われた土地を回復する方法を孟子に質問した時、孟子は仁者無敵を説いた。それは、国土は小さくても、仁政を施せば、誰にも負けない、ということである。仁政とは、刑罰を簡単にして、税を軽くし、丁寧に耕作して、若者には孝悌忠信の道徳教育を行うことである。そのような仁政を受けた民は、戦いでも勇敢で、仁政のない国の民は、主君に協力せず背いたりもする。ゆえに、仁者無敵である、というのである。 論語に載せられている孔子の弟子の有子の言葉とされているものに、 孝弟なる者は、それ仁の本為るか。 がある。孝とは親に対する愛情、弟とは兄に対する尊敬のことである。 仁の実は親に事うること是なり。義の実は兄に従うこと是なり。