
ミーナー・クマーリー(Meena Kumari)
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この人は?
ミーナー・クマーリー(Meena Kumari、1933年8月1日 - 1972年3月31日)は、インドのヒンディー語映画で活動した女優、詩人。「悲劇の女王(The Tragedy Queen)」と呼ばれ、インド映画史上最も偉大な女優の一人に挙げられている。33年間のキャリアを通して90本以上の映画に出演し、フィルムフェア賞 主演女優賞を4回受賞している。1950年代から1960年代にかけて不動の人気を誇ったが、1960年代後半からはアルコール依存症を患うようになりキャリアは低迷し、1972年に肝硬変が原因で死去した。 生涯 生い立ち 1933年8月1日にアリー・ブックスとイクバル・ベーグムの次女として生まれ、「マフジャビーン(Mahjabeen)」と名付けられたものの、息子を望んでいたアリー・ブックスは娘の誕生にひどく落胆したという。長女はクルシードであり、三女マフリカは「マドゥー(Madhu)」の芸名で子役として活動し、後にメームードと結婚している。出生から間もなく、アリー・ブックスは養育費を工面できずに彼女を孤児院に預けたが、数時間後には考えを改めて彼女を引き取り自宅に連れ帰っている。幼少期のマフジャビーンは映画界への関心がなく、学校に通うことを好んでいたが、両親は娘を女優にすることを夢見て頻繁に映画スタジオに見学に連れて行き、そこで知り合ったヴィジャイ・バットから『Leather Face』に起用されて映画デビューしたが、この時の出演料は25ルピーだったという。同作は1939年に公開され、これによりマフジャビーンは一家の稼ぎ頭となった。1962年にメディアの取材に応じた彼女は、「4歳のころから両親の生活を支えてきたことに大きな満足を感じていた」と語っている。彼女は学校に通いながら映画に出演していたが、多忙のため学業に支障が出ることがあり、学業については個人授業と独学で補っていたという。