
マルコ・ポーロ(Marco Polo)
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この人は?
マルコ・ポーロ(伊: Marco Polo、1254年頃 - 1324年1月8日)は、ヴェネツィア共和国の商人であり、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した『東方見聞録』(写本名:『イル・ミリオーネ (Il Milione)』もしくは『世界の記述 (Devisement du monde)』)を口述した冒険家でもある。 概略 商取引を父ニッコロ・ポーロと叔父マテオ・ポーロに学んだ。1271年、父・叔父と共にアジアに向け出発し、以降24年間にわたりアジア各地を旅する。帰国後、ジェノヴァとの戦争に志願し、捕虜となって投獄されるが、そこで囚人仲間に旅の話をし、これが後に『東方見聞録』となった。1299年に釈放された後は豪商となり、結婚して4人の子供に恵まれた。1324年に没し、サン・ロレンツォ教会に埋葬された。 彼の先駆的な冒険は当時のヨーロッパ地理学にも影響を与え、フラ・マウロの世界図が作成された。またクリストファー・コロンブスなど多くの人物に刺激を与えた。マルコ・ポーロの名はマルコ・ポーロ国際空港やマルコポーロヒツジにも使われ、彼の生涯をテーマにした小説や映画なども製作された。 生涯 幼少時 マルコ・ポーロがいつ、どこで生まれたか正確には分かっておらず、現代の説明はほとんどが推測である。その中で最も引用される情報は1254年生まれというものである。 生誕地は一般にヴェネツィア共和国だったと受け取られており、これも正しい場所は不明ながら多くの伝記にて同様に書かれている。 生家は代々続く商家で、父親のニッコロは中東貿易に従事し、財と地位を成しつつあった。ニッコロとマテオ兄弟はマルコが生まれる前に貿易の旅に出発し、コンスタンティノープルに住み着いた。 1260年、政変の予兆を察知したニッコロとマテオは、財産をすべて宝石に換えてコンスタンティノープルを離れ、毛皮貿易で栄えるクリミアへ向かった。『東方見聞録』によると、彼らはアジアを東へ向かい、クビライとも謁見しているという。この間、マルコの母親は亡くなり、彼は叔父と叔母に養育された。マルコはしっかりした教育を受け、外貨や貨物船の評価や取り扱いなど商業についても教わったが、ラテン語を履修する機会は持てなかった。 アジアへの旅 1269年、ニッコロとマテオの兄弟はヴェネツィアに戻り、初めてマルコと会った。そして1271年後半に兄弟は17歳のマルコとともに後に『東方見聞録』に記録されるアジアへの旅に出発した。 一行は船でアクレに渡り、そこから陸路でホルムズへ向かった。その途上、新教皇決定の知らせを受けて一旦エルサレムに戻り、教皇グレゴリウス10世からクビライに宛てた手紙を預かり、再び東へ向かった。 一行が元の都・上都へ到着した時、マルコは21歳になっていた。