
マフムード・アッバース(Mahmoud Abbas)
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マフムード・アッバース(アラビア語: محمود عباس, ラテン文字転写: Maḥmūd ʿAbbās, 1935年11月15日 - )は、パレスチナ国の政治家。通称:アブー・マーゼン(アラビア語: أبو مازن, ラテン文字転写: Abū Māzin)。大統領(第2代)、パレスチナ解放機構(PLO)執行委員会議長。 日本語では、「マフムード」はマハムード、「アッバース」はアッバスとも表記される。 経歴 生い立ち 1935年、パレスチナ(現イスラエル)のサファド(ツファット)で出生。少年時代にイスラエルの建国にともなって難民となり、ヨルダンに移住した。成長するとシリア、エジプトで高等教育を受ける。ダマスカス大学法学部を卒業し、ソ連(現ロシア)のパトリス・ルムンバ名称民族友好大学大学院でユダヤ史を専攻。同地の東洋文化研究所で歴史博士(専攻はシオニズム)の学位を受ける。「イスラエル人のものの考え方、宗教、風俗をよく知る人物」とされ、イスラエルの公用語であるヘブライ語にも堪能である。 パレスチナ解放運動 1950年代よりカタールにおいてパレスチナ解放運動に関わり、1957年、ヤーセル・アラファートを指導者とする解放運動組織ファタハの結成に参加。後にファタハが参加したパレスチナ解放機構(PLO)においてもその幹部となった。1960年代から1980年代にはアラファートと行動をともにし、1970年にブラック・セプテンバーでヨルダンを追われた後、レバノンの首都ベイルートで活動。さらにイスラエルにレバノンを追われ、チュニジアに活動の拠点を移した。その間、PLO国際局長として外部の様々な機関との交渉に携わり、PLOの対イスラエル強硬路線放棄に関与したとされる。1993年のオスロ合意に基づく交渉と調印の場でも、アラファートに同行した。 和平合意に基づき、PLOをもとにパレスチナ自治区がつくられた後は、PLO執行委員会事務局長を務め、民主主義的な手続きをとって選ばれた自治政府による自治区の運営を目指す動きの中心的な人物となった。 和平プロセスが行き詰まり、2000年から始まった第二次インティファーダにおいては、非PLO系のハマスなどを中心とするパレスチナ人による対イスラエル武装闘争路線・テロ攻撃が続発した。自治政府大統領のアラファート議長やPLOの保守派が、テロに対して断固とした反対姿勢を打ち出せない中、アッバースは終始イスラエルに対する過激な抵抗に対して批判的な立場を取った。