
Méthamphétamine
このスターに新着があれば通知でお届け
日別に見る
この人は?
メタンフェタミン(英語: methamphetamine, methylamphetamine)は、アンフェタミンの窒素原子上にメチル基が置換した構造の有機化合物である。間接型アドレナリン受容体刺激薬として中枢神経興奮作用はアンフェタミンより強く、強い中枢興奮作用および精神依存性、薬剤耐性がある。日本では商品名ヒロポンで販売されていたが、1951年(昭和26年)6月30日の覚醒剤取締法公布以降は「限定的な医療・研究用途での使用」のみに厳しく制限されている。覚醒剤取締法では、覚醒剤の取扱いを行う場合の手続きを規定するとともに、それ以外の流通や使用に対しての罰則を定めている。メタンフェタミンはこの取締法におけるフェニルメチルアミノプロパンであり、日本で薬物乱用されている覚醒剤である。 俗称・異称 日本語では、シャブ、エス (S)、スピード (speed) などの俗称で呼ばれる。英語ではアイス(ice)、メス(meth)、クリスタル・メス(crystal meth)などの俗称がある。 歴史 合成と結晶化に成功 1888年(明治21年)に日本の薬学者長井長義が『麻黄研究物質第33号』として合成して、1893年(明治26年)に薬学雑誌に発表した。1919年(大正8年)に緒方章が結晶化に成功した。覚醒作用や依存性は、合成に成功した当時は発見されずに発見以後も注目されていなかったが、アンフェタミンの交感神経刺激作用は、1927年に精神薬理学者ゴードン・アレスが自身で実験して明らかにされた。 市販開始 欧米諸国においては、日本に先駆けてメタンフェタミンやアンフェタミンによる覚醒剤の市販が開始された。特に製薬会社スミス、クライン、フレンチが販売したアンフェタミン製剤「ベンゼドリン」は大ヒット商品となり、欧米諸国で愛用されていた。 ナチス統治下のドイツにおいては、1936年ベルリンオリンピックで、アメリカの選手が使用した「ベンゼドリン」の効果に着目が集まると、1937年にメタンフェタミン製剤の「ぺルビチン」が発売されて、ドイツ国民に広まっていった。同じスポーツ選手のほかにも、一般労働者はおろか家庭の主婦やダイエット目的の女性までもが愛用するようになっていた。当時のドイツ人が気軽にメタンフェタミンを口にしていた典型的な例としては、洋菓子プラリネにメタンフェタミンを混ぜ込んだ「メタンフェタミン入りプラリネ」が市販され、「毎日の家事がいっそう楽しくなります」などとの宣伝文句で商業誌で広告されていた。第二次世界大戦時は、連合国軍と枢軸国軍の双方で、航空機や潜水艦の搭乗員を中心に士気向上や疲労回復の目的で用いられ、アメリカ陸軍刑務所で、従業員と受刑者約1,000人のうち約25パーセント (%) が乱用した。