
ルイーズ・ミシェル(Louise Michel)
このスターに新着があれば通知でお届け
日別に見る
この人は?
ルイーズ・ミシェル(Louise Michel, 1830年5月29日 オート=マルヌ県ヴロンクール=ラ=コート生まれ - 1905年1月9日 マルセイユ没)は、フランスの教員、無政府主義者、フリーメイソン会員。元々は社会主義者・共産主義者として1856年のパリ移住後から活動するも、実現した社会主義国家の独裁への失望から1882年から無政府主義者となった 。 経歴 生い立ちと青年時代 ルイーズ・ミシェルは1830年5月29日オート=マルヌ県ヴロンクール=ラ=コートで、ヴロンクール城の使用人マリアンヌ・ミシェルの娘として生まれた。父親は不明だが、城主ローラン・ドゥマイとされている。ルイーズは(彼女が「祖父母」と呼んだ)ローラン・ドゥマイの両親の家で育てられた。幼少期から思いやりに溢れる性格で、幸福な少女時代を過ごしたとされる。ヴォルテールやルソーを読み、リベラルな教育を受けた。 1851年からオート=マルヌ県ショーモンで学業を続け、生徒の復習を手伝い、授業の監督をする「女性副教師」(現在の小学校教員に相当) の免状を取得した。1852年9月に、22歳でオードロンクール(オート=マルヌ県)において自由学校を設立し、一年間教鞭を執った後、パリに移り住んだ。1854年末にクレモン (オート=マルヌ県)に小学校を設立したが、教壇に立ったのはやはり一年間のみであった。1855年にはミリエール (オート=マルヌ県)小学校を設立した。 パリ移住・社会主義共和主義運動 1856年、ミシェルはパリに移り、10区のシャトー・ドー通りで女性副教師として教職に就いた。ヴォワリエ夫人の元に寄宿し、夫人と母娘のような関係を長く続けることとなった。積極的な活動を開始したのはこの頃であり、以後15年間にわたって教育活動を続けた。1865年、ウードン通り24番地に通学制の学校を開き、1868年にはウード通りにさらに一校を設立した。文学にも関心を持ち、アンジョルラスという筆名で書いた詩を初め様々な文章を発表している。文筆で身を立てることを期待していたとも言われる。当時の著名人筆頭であり敬意の的であったヴィクトル・ユゴーとも間も無く知己を得、1850年から1879年までにはユゴーと文通を続け、詩も数篇送っている。ユゴーは「暗きユダヤ女ユデト」(Judith la sombre Juive)あるいは「ローマ女アリア」(Aria la romaine)などでミシェルを数奇で悲劇的な命運をたどった女性として描いている。