
ライオネル・リッチー(Lionel Richie)
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ライオネル・リッチー(1949年6月20日 - )は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。本名はライオネル・ブロックマン・リッチー・ジュニア(英語: Lionel Brockman Richie, Jr.)。全世界アルバムトータルセールスは1億枚以上を誇る。 人物 1949年、アラバマ(アラバマ州タスキーギ)で生まれた。1974年に、コモドアーズのメンバーとしてデビュー。1982年からはソロ活動を行うようになり、1983年にリリースされたアルバム『オール・ナイト・ロング(Can't Slow Down)』は、全世界でトータルセールス2000万枚を超えた。ダイアナ・ロスとの代表的デュエット曲「エンドレス・ラブ」は、日本では21世紀に入ってからもラジオでオンエアされた。 プライベートでは、1975年に大学で知り合ったブレンダ(Brenda Harvey)と結婚しており、彼女と共に、1983年にニコール・リッチーを養子に迎え入れている。しかし1993年に離婚し、25億円の慰謝料を支払ったと言われている。 来歴 コモドアーズ時代 1967年、タスキーギ大学在学中にコモドアーズを結成。ライオネルはサックスを担当していた。同大学卒業後、オーバーン大学の大学院に進んだ。1971年7月よりジャクソン5のオープニングアクトを務めた、1972年、モータウンと契約。 コモドアーズは、1974年にアルバム『マシン・ガン』でデビューする。ファーストは全曲ダンス・ナンバーという魅力的なファンク・バンドだった。日本の音楽祭のため来日したこともある。しかしセカンド以降ファンク曲は極端に減ってしまい、「ブリックハウス」などわずかな曲数になった。バンドはライオネルのヴォーカルを強調したバラード曲「イージー」などのヒットを出し、AOR路線を押し進めるようになった。 ライオネルは、作曲家として他のアーティストに曲を提供した。ケニー・ロジャースの「レイディ」は、1980年に全米1位の大ヒットとなる。翌1981年には、ダイアナ・ロスとのデュエット曲「エンドレス・ラブ」も、全米1位の大ヒットを記録した。 ソロ活動 1982年、ライオネルはコモドアーズを脱退し、初のソロ・アルバム『ライオネル・リッチー』を発表した。同年に「トゥルーリー」が全米1位の大ヒットとなり、この曲でグラミー賞最優秀男性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞した。翌1983年に発表したアルバム『オール・ナイト・ロング(Can't Slow Down)』はグラミー賞最優秀アルバム賞と最優秀プロデューサー賞を獲得し、同アルバムからのシングルのうち「オール・ナイト・ロング」と「ハロー (心の扉)」は全米ナンバーワン・ヒットとなった。