
リリアン・テュラム(Lilian Thuram)
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リュディー・リリアン・テュラム=ユリアン(Ruddy Lilian Thuram-Ulien, 1972年1月1日 - )は、フランス・グアドループ・ポワンタピートル出身の元サッカー選手。元フランス代表。ポジションはディフェンダー。ウーゴ・ロリスに記録更新されるまでは同国代表の歴代最多出場記録保持者(142試合)であった。 1972年1月1日、グアドループの漁業の拠点となるグランド・テール島の港町ポワンタピートルに生まれた。ちなみにテュラムの誕生は新年を迎えてわずか20秒後のことで、72年に生まれた最初の子供としてメディアが取材に訪れ、新聞記事に掲載されたという。幼少期はピアノにも親しみ、夢はカトリックの神父になることであった。 1981年、フランス本土パリ郊外にあるフォンテーヌブローに移り住み、サッカーを始める。 クラブ経歴 1988年、フランスのASモナコにスカウトされた。1990年に同クラブでプロデビュー。当時の監督アーセン・ベンゲルの指導の下、次第に身体能力の高さと1対1の場面での勝負強さが注目され始めた。 1996年にセリエA・パルマACへ移籍し活躍。イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンとDFファビオ・カンナヴァーロとのトリオは世界最高の守備トリオと呼ばれた。 2001年、同僚ジャンルイジ・ブッフォンとともにユヴェントスFCへ移籍し、2001-02シーズンと2002-03シーズンの連覇を果たす。2004年、パルマでコンビを組んだファビオ・カンナバーロが加入し、パルマ時代のトリオ再結成となった。2004-05シーズン、2005-06シーズンと連覇を果たすものの、2006年、カルチョーポリにおける審判買収でユヴェントスが降格した。本人は現役引退も視野に入れていたようだが、最終的に同僚ジャンルカ・ザンブロッタとともにFCバルセロナへ移籍した。 EURO2008後、パリ・サンジェルマン移籍が確実視されていたが、メディカルチェックにて心臓の奇形が発覚した。再検査を行った結果、最初の診断は誤りで、彼の心臓は正常であったことがわかったが、彼の実兄はかつてバスケットボールの試合中に心臓発作で亡くなっており、テュラムにも同じことが起こるのではと常日頃から心配していた母親を安心させるため、現役引退を2008年8月1日に正式に表明した。 代表経歴 1994年8月17日のチェコ戦でフランス代表の招集を受け、初出場を果たす。