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レスター・B・ピアソン

レスター・B・ピアソン(Lester B. Pearson)

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レスター・ボールズ・ピアソン(Lester Bowles Pearson、1897年4月23日 - 1972年12月27日)は、カナダの第14代首相(在任:1963年4月22日 - 1968年4月20日)。20世紀後半のカナダで最も偉大な政治家と評される。所属政党はカナダ自由党。 経歴 カナダのオンタリオ州ニュートンブルック(Newtonbrook)生まれ。 1913年にトロント大学に入学した。第一次世界大戦が勃発し、ギリシャの陸軍病院で衛生兵として1915年から2年間勤務した。1917年にイギリス空軍に志願し、イギリス国内の航空訓練学校に通った。卒業後の最初の飛行で墜落事故に遭い、続いてロンドン大停電の最中にバスに跳ねられるという不幸続きだったが、幸いにも生き延びた。しかし、これが原因で病傷兵として1918年にカナダへ送還されてしまう。帰国翌年の1919年にトロント大学を卒業する。その後に奨学金を提供されて、イギリスのオックスフォード大学に通った。1925年にカナダに戻り、トロント大学で歴史を教えながら研究を続けた。 1927年にカナダ外務省に入る。1945年に在米カナダ大使として国際連合の設立会議に出席した。副外相として北大西洋条約機構(NATO)の設立にも重要な役割を担った。 1956年の第二次中東戦争時に、外相として現代的な国際連合平和維持活動の元となる国連緊急軍の創設を提唱し、紛争の解決にあたったことを評価され、1957年にノーベル平和賞を受賞した。 1963年4月22日から1968年4月20日まで第19代カナダ首相を務めた。任期中に新しいカナダ国旗(メープルリーフ)の制定、カナダ年金制度の導入、連邦政府が主要な医療費の半分を負担して残り半分を州政府が負担するシステム(カナダの医療)の導入、農村部の経済発展のための基金の創設などが実施された。 ピアソンの和平志向が友好国首脳との間に軋轢を生んだ例もあった。ピアソンはアメリカ合衆国訪問中の1965年4月2日に、ペンシルベニア州フィラデルフィアのテンプル大学で演説を行った。事前に演説内容をホワイトハウスと調整せずに、ベトナム戦争を終結させ、外交的に問題を解決していくためには北爆(1965年2月に開始された)の停止が必要であると主張した。翌3日にキャンプ・デービッドで米加首脳会談が行われた。ベトナムへの軍事介入を開始していたリンドン・ジョンソン大統領は、この時期、外国の首脳によるベトナム政策への発言や提案に、非常に敏感になっていた。戦争に反対するピアソンの前日の演説にも激怒していた。ジョンソンは、首脳会談の場で、一度はピアソンの襟首を掴んで、自身のベトナム政策を批判した事を罵った。さらに、テラスに出て拳を振り回し、「私の家に来て、絨毯に小便をするような真似をしやがって!」と暴言を吐いた、と伝えられている

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