
レオ・レオニ(Leo Lionni)
レオ=レオニ, レーオ・リオンニ, レオ・レオーニ
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レオ・レオニ(オランダ語:Leo Lionni、1910年5月5日 - 1999年10月12日)は、アメリカ合衆国、イタリアのイラストレーター、絵本作家。主に動物の絵本を作っている。レオ・レオーニとも表記される。 来歴 生い立ち 1910年5月5日、オランダのアムステルダムにて、ダイヤモンド研磨工の父ルイス・レオニと、母エリザベトの間に生まれる。父ルイスはスペイン系のユダヤ人で、祖父の代からダイヤモンド産業に従事する裕福な家庭であった。ルイスはレオが5歳のときに公認会計士となり、母エリザベト・グロソウはオペラ歌手であった。 絵画コレクターの叔父たちの影響で、シャガール、ル・フォーコニエ、パブロ・ピカソ、デ・キリコ、パウル・クレーなどの芸術に囲まれて育った。また9歳の時から、建築家で叔父のピート・グロソウ(母の弟)の指導のもと王立美術館に通い鉛筆デッサンを教わった。 1922年に仕事の関係で両親はアメリカのフィラデルフィアに移住、レオはベルギーのブリュッセルに住む父方の祖父母のもとで2年間過ごしたのち、1924年にアメリカに移住した。 1925年、父親が鉱油製造会社の工場長となったことから、家族でイタリアのジェノヴァに移住した。レオは1年間家庭教師についた後、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世技術高校に入学する。レオにとっては初めての共学で、アーダ・マッフィという女の子と親しくなり、妹のノーラと恋仲になる。1928年、スイスのチューリッヒ大学に入学し経済学を学ぶ。 アメリカへの移住 1931年12月末、レオはノーラ・マッフィと結婚する。同時期イタリア共産党の党員であるフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティと出会い、未来派グループへの参加を勧められる。1932年、長男のルイスが生まれる。8月、未来派の展覧会に参加するが以後は距離を置くことになる。 1933年、家族でオランダへ帰国するが、年末にミラノに移住する。1934年、建築関係の専門誌『カザベラ』の編集に協力する。1935年、製菓会社モッタ(it:Motta (azienda))の広報部に就職、ディーノ・ヴィッラーニの助手となり、パネトーネの広告デザインなどを手がける。1935年にジェノヴァ大学経済・商学部を卒業。1937年、モッタを退職しフリーのグラフィックデザイナーとなる。1938年、次男のパオロが生まれる。 1939年、イタリア政府による差別的な人種法の公布をうけて、ユダヤ人であるレオはアメリカ合衆国に亡命する。イタリア国籍だった妻と息子たちにはビザがおりるまで7か月ほどかかり、再会は約1年後となった。レオはフィラデルフィアの広告代理店N.W.エイヤー・アンド・サン (N. W.
経歴
- 1910Born
- 1999Passed away
- Won AIGA Medal
- Won Deutscher Jugendliteraturpreis
豆知識
- •Place of birth: Amsterdam
- •Citizenship: Italy, United States
- •Known as: writer, graphic designer, illustrator, painter