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レフ・ヴァウェンサ

レフ・ヴァウェンサ(Lech Wałęsa)

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レフ・ヴァウェンサ(ポーランド語:Lech Wałęsa、 [ˈlɛx vaˈwɛ̃sa]、1943年9月29日 - )は、ポーランドの政治家、労働組合指導者、電気技師で、ポーランド共和国の第三共和政第2代大統領。ノーベル平和賞受賞者。 「ヴァウェンサ」は原語での発音に基づいたカタカナ転写で、比較的新しい表記法。日本では「ワレサ」という表記が多く用いられているが、これはポーランド語アルファベットに対する誤解から生じたものである( → 詳細は下記「日本国内における表記の異同」節を参照) 生い立ち ヴァウェンサは、1943年9月29日、クヤヴィ=ポモージェ県リプノ郡にあるポポヴォという小さな村で生まれる。ヴァウェンサの祖先はイタリアかフランスからの移民とされ、祖父の代には、財産を食いつぶしてしまっていた。ヴァウェンサの父親はボレスワフといい、大工をして生計を立て、1930年代にはかなりの収入を得ていた。 ポーランド侵攻後、ヴァウェンサの土地はドイツ軍によって接収され、ヴァウェンサの父親・ボレスワフもドイツ軍によって逮捕され、強制収容所を転々とさせられ、肺炎にかかり、無事に釈放されたものの、釈放後もドイツ軍の塹壕掘りに従事させられ、体調をくずし、1945年5月に死去する。 ヴァウェンサの母親は、ボレスワフの弟・スタニスワフ(ヴァウェンサから見て叔父)と再婚し、さらに3人の子供に恵まれ、7人兄妹となった。ヴァウェンサはこの継父と継父の子供とは仲が悪かった。 ヴァウェンサは地元の小学校に進学し、成績は可もなく不可もなくという成績で、頭の回転は早いが集中力と持続力に欠けるという評価であった。小学校卒業後は、地元を離れ、リプノ市にある、職業訓練学校に進学する。職業訓練校での成績も芳しくなく、可がほとんどという成績であったが、素行は悪く喫煙をするなどしていた(ただし修身の成績は良好だったという)。ヴァウェンサには不思議と人望があり、激怒している人間もヴァウェンサにかかれば、簡単に懐柔できてしまうという不思議な魅力があった。 1961年に職業訓練学校を卒業し、国営農業機械センターに就職する。国営農業機械センター就職後、電気工として優秀であった。1964年から1966年まで2年間の兵役を務め伍長の階級で退役し、1967年6月2日にはグダニスクのレーニン造船所に転職する。ヴァウェンサは後に、国営農業機械センターと造船所を比較し、国営農業機械センターは、働きやすい労働環境であったが、造船所は、労働者は巨大な歯車の一つに過ぎず絶えず緊張感が張り詰めていたと述懐している。

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