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レオン・ブルム

レオン・ブルム(Léon Blum)

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レオン・ブルム(Léon Blum、1872年4月9日 - 1950年3月30日)は、フランスの政治家。社会党に属し、3度にわたって首相を務めた。とりわけ1936年に成立したフランス人民戦線内閣の首班を務めた人物として知られる。ホロコースト生還者。 生涯 出生から社会党入党まで 1872年、ユダヤ系の中流家庭の子息としてパリに生まれた。若いときから政治家を志していたわけではなく、むしろ文学などに関心が強かった。若いころにはフランスのナショナリズムを代表する作家・思想家で下院議員も務めたモーリス・バレスを敬愛し、その知遇を得ている。また、アンドレ・ジイドとはアンリ4世校で同級であり、高等師範学校の図書館司書で当時の左派知識人に対し強い影響力を持ったリュシアン・エールとも親しかった。そのため、ソルボンヌ大学でまず文学を修め、そして法学を修めると、法律家として国家参事会に勤務しつつ文芸批評と演劇批評でも活躍した。 彼を政治の道へ進ませた決定的な要因は、1894年に起こったドレフュス事件であった。かつては自由・平等といった普遍的理念に基づいて国民の創出を図ったフランスであったが、1871年の普仏戦争敗北後は排他的・民族主義的な反独ナショナリズムが高揚していた。ドレフュス事件は、こうしたフランスの実態を暴いた事件であり、この社会情勢を憂えたブルムは、政治活動に足を踏み入れた。1896年、当時を代表する社会主義者で、ブルムが尊敬の念を抱くことになるジャン・ジョレスと知り合い、本格的に政治活動へと身を投じた。 統一社会党の成立 1905年、急進社会党が中産階級との接近を強めて社会主義諸勢力の抑圧を図ったことを背景として、諸勢力の結集が促され統一社会党(社会党)が成立した。当初よりブルムは社会党に加わり、社会党屈指の論客として活躍した。大戦勃発直前の1914年、反戦を訴えていたジョレスが狂信的右翼に殺害されるという悲劇を受け、ブルムは社会党内でより主導的な役割を担うようになった。1914年から1916年にかけては、公共事業相となったマルセル・サンバの官房長を務めた。1919年の総選挙にパリ東部の選挙区から出馬して当選し、1920年末のトゥール党大会での社会党分裂とフランス共産党の結党の際には社会党に留まり、以後党のリーダーと目されるようになる。左派が躍進した1924年の総選挙では再選されるも、1928年の総選挙では右派が議席を伸ばす中落選。翌29年の補選でフランス南部のオード県ナルボンヌから出馬し、下院議員に返り咲いた。以後、1932年と1936年の選挙ではナルボンヌで当選を重ね、1940年に第3共和制が崩壊するまで下院議員を務めた。

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