
秋吉久美子(Kumiko Akiyoshi)
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この人は?
秋吉 久美子(あきよし くみこ、1954年〈昭和29年〉7月29日 - )は、日本の女優。本名は、小野寺 久美子(おのでら くみこ)。静岡県富士宮市生まれ、福島県いわき市出身。カトリック信徒 略歴 生い立ち 北海道函館市出身で研究者だった父親が戦後に結核を患い、静岡県富士宮市の療養所に入り、地元出身の看護師だった母親と結婚し当地で生まれた。小学生のころに亡くなった祖母との別れが一番印象に残っているとインタビューで語っている。妹が一人いる。その後、父が徳島県海部郡日和佐町(現在の美波町)の高等学校に化学教師として赴任したため家族で移住した。しかし、高温多湿の気候が体の弱い父には辛く、本人が小学校入学直前に福島県いわき市に移り、6歳から18歳までいわき市で暮らす。なお、父方の祖父は宮城県仙台市出身で、血縁的にも東北地方とは所縁があった。父は小名浜の福島県水産試験場に勤務し、場長を務める。アクアマリンふくしまの立ち上げにも尽力した。福島県いわき市小名浜第一中学校、福島県立磐城女子高等学校(現在の福島県立磐城桜が丘高等学校)を卒業した。高校時代は文芸部の部長をしていた。あちこちの雑誌やテレビなどでもらした言葉を集めた『つかのまの久美子』(1977年、青春出版社)ではユニークで鋭い感性が光っており、五木寛之も「静かな平凡を夢見る卓抜な個性」と帯に感想を書いている。 高校3年生だった1972年、受験勉強中に聴いたラジオの深夜放送・吉田拓郎の『パックインミュージック』で、吉田が音楽を担当した松竹映画『旅の重さ』のヒロイン募集を聞き、親に内緒でオーディションを受けたのが芸能界入りしたきっかけである。 女優として 『旅の重さ』の主役オーディションでは主役に決まりかけていたものの、最終的には、遅れてやってきた高橋洋子が主役に決まり、秋吉は端役の自殺する文学少女役に収まる。本名での映画初出演となった。夏休みの1週間だけ撮影に参加し、出演料は7万5千円だった。撮影現場の空気は肌に合ったが、女優になろうとはすぐには思わず、大学へ行こうと思い受験勉強に励む。翌1973年、明治大学と中央大学の受験に失敗し、大きなショックを受ける。いわき市で予備校通いをしたが、浪人も面白くなく、予備校も休みがちになってブラブラしていたとき、隣町で観た街頭アングラ演劇「はみだし劇場」に感銘を受け、同劇場の劇作家・内田栄一の妻・内田ゆきに身柄をあずけ上京した。内田ゆきは秋吉のマネージャーになった。最初の仕事は赤福もちのCMだった。同年、斎藤耕一監督の『花心中』に一シーンだけ顔を出したのち、芸名を「秋吉久美子」として松本俊夫監督の『十六歳の戦争』に主演して本格的に映画デビューした。しかしこの作品は難解だという理由で1976年まで公開されなかった。1974年、藤田敏八監督の青春映画