
キドラット・タヒミック(Kidlat Tahimik)
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この人は?
エリック・オテイザ・デ・ギア(Eric Oteyza de Guia、1942年10月3日 - )、通称「キドラット・タヒミック」(Kidlat Tahimik、「沈黙の稲妻」を意味する)は、フィリピンの映画監督、作家、俳優。ネオ植民地主義に抵抗し、暴露する「第三映画」と呼ばれる運動の先駆者。インディペンデント映画の発展への貢献が認められ、2018年にフィリピン国民芸術家勲章(映画部門)に選出された。これはフィリピン国家が芸術家に授与する最高位の栄誉である。 フィリピン映画界を代表する人物の一人であり、「フィリピン独立系映画の父」と称されている。国内外でも数々の栄誉に輝き、インディペンデント映画への貢献が認められ、プラリデル賞も受賞。近年はフィリピンの様々な公共空間で展示される著名なインスタレーションアーティストとしても活躍している。 学業 フィリピン大学(UP)ディリマン校に進学し、 1962年から1963年にかけて当時「大学学生連合」と呼ばれていたUP学生評議会の会長に選出された。在学中にユプシロン・シグマ・ファイ友愛会の会員となった 。その後ペンシルベニア大学ウォートン・スクールで学び、経営学修士号を取得。帰国後、フィリピンにAIESECを設立した。 卒業後は1968年から1972年まで、パリの経済協力開発機構(OECD)で研究員として勤務した。 影響について タヒミックが育ったフィリピンのバギオは避暑地としても知られており、いくつかの米軍基地の存在のもとで発展した場所である。この経験は彼の映画のテーマに影響を与え、特に半自伝的な『悪夢の香り』(1977年)と『トゥルンバ祭り』(1983年)で顕著に表れている。 特に『トゥルンバ祭り』には、タヒミックが渡欧してヴェルナー・ヘルツォークと出会うに至った経緯が描かれている。その後ヘルツォークはフランシス・フォード・コッポラと彼の映画製作スタジオ「アメリカン・ゾエトロープ・スタジオ」と共に、『悪夢の香り』のアメリカ公開に大きく貢献した。 家族について 元バギオ市長バージニア・デ・ギアの息子として生まれる。ドイツ人アーティストで作家の妻カトリン・デ・ギアとの間に三人の子供が生まれている。上からキドラット・デ・ギア(別名キドラット・ゴットリーブ・カラヤン)、カワヤン・トール・カラヤン(別名カワヤン・デ・ギア)、カブニャン・デ・ギア(別名カブニアン・セドリック・エンリケ)。 2004年2月、フィリピン・ベンゲット州にある4階建て住宅の自宅で火災が発生。家族は無事避難できたが、フィルム素材や美術品・工芸品のコレクションが焼失した。