
カール・デーニッツ(Karl Dönitz)
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カール・デーニッツ(ドイツ語 : Karl Dönitz、1891年9月16日 - 1980年12月24日)は、ドイツ(ナチス・ドイツ)の海軍軍人、政治家。総統アドルフ・ヒトラーの後継者として第三帝国最後の政府を率いた。海軍軍人としての最終階級は元帥(大提督)。 第二次世界大戦開戦時には潜水艦隊司令長官として、海軍総司令官エーリヒ・レーダー元帥、海軍参謀総長オットー・シュニーヴィント少将に次ぐ、事実上のドイツ海軍ナンバー3の地位にあった。無線誘導による群狼作戦を立案し、エルヴィン・ロンメル陸軍元帥と並んで、イギリス首相のウィンストン・チャーチルを最も苦しめたドイツ軍人の一人として知られている。1945年4月にヒトラーが自殺した際には、その遺言に基づいて大統領に就任し、連合国への無条件降伏を行った。 経歴 第一次世界大戦から戦間期まで ベルリン近郊グリュナウにて、カール・ツァイス社の技師だった父エミール・デーニッツと母アンナ・バイエルの間に生まれる。母はカールが4歳の時に死に、父が男手ひとつでデーニッツを含む2人の息子を育てた。「皇帝と祖国に仕えることが第一の義務であり、個人の幸福など瑣末なことに過ぎない」という、プロイセン的規律がデーニッツ家の教育方針だった。 1910年4月1日、フレンスブルクのミュルヴィク海軍兵学校に入学した。1912年に父が死去し、父に代わる偶像として上官ヴィルフリート・フォン・レーヴェンフェルト海軍大尉を尊敬するようになった。レーヴェンフェルト大尉は、1912年にデーニッツを小型巡洋艦ブレスラウの士官候補生として配属した。 この艦に勤務中に第一次世界大戦を迎え、オスマン帝国を同盟国に誘うために地中海の港で停泊を続けていたが、潜水艦Uボートに関心を持つようになった。1917年1月に潜水艦当直士官課程を終えるとヴァルター・フォルストマン大尉が艦長を務める潜水艦U39に勤務。1918年にはUB-86の艦長となったが、10月に艦が潜航中に航行不能となり、急浮上をしたところをイギリス軍に捕らわれて捕虜となる。Uボートの艦長は絞首刑になるという噂を聞き、発狂したふりをして1919年、本国送還となる。 大戦終了後もドイツ海軍に残ったが、ヴェルサイユ条約で潜水艦の開発や配備が禁止されていたため、デーニッツも水上艦艇の勤務となった。その期間に日本を含む諸外国を遠洋航海で訪問しているが、アメリカに行けなかったことを後に後悔している。水雷艇艇長、駆逐艦艦隊司令、北海方面海軍司令部参謀を歴任後、1934年に軽巡洋艦エムデンの艦長に就任する。1935年にヒトラーがドイツの再軍備を宣言、デーニッツは再建される潜水艦部隊の司令長官に任命された。