
金口イオアン(John Chrysostom)
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金口イオアン(きんこうイオアン、ギリシア語: Ἰωάννης ὁ Χρυσόστομος (Ioannes Chrysostomos), 345年または349年または354年 - 407年9月14日)は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスのキリスト教会の主教。398年から404年まで主教を務めた。生地はシリアのアンティオキアである。いわゆるギリシア教父を代表する一人で、名説教で知られたことから死後100年以上経った6世紀以後に「黄金の口」を意味するクリュソストモスと呼ばれるようになった。 日本語表記は多様で、金口イオアンは日本ハリストス正教会の表記である。他にヨアンネス・クリュソストモス、ヨハネス・クリュソストモス、ヨハネス・クリソストモス、ヨハネ・クリゾストモ、金口の聖ヨハネ、金口ヨハネ、ヨハネ・クリソストム、ジョン・クリソストム(John Chrysostom)あるいは単にクリュソストモス、金口聖若望(中国語)などと表記される。 祝日は東方教会では11月13日、カトリック教会では9月13日である。正教会、東方諸教会、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会で、聖人として崇敬される。東方教会において最も頻繁に用いられる典礼文は金口イオアンの名が冠されている「聖金口イオアン聖体礼儀」である。正教会においては三成聖者の一人である。カトリック教会においては教会博士の一人である。 生涯 金口イオアンは、ローマ帝国の将軍の子として生まれ、未亡人となった母によってキリスト教徒として育てられる。381年に聖職者となり次第に名声を獲得していった。 398年、修道士として、神品として、アンティオキアで声望の高かった金口イオアンは、ネクタリオスの後を継いでコンスタンティノープル大主教(当時はまだ総主教制は無かった)に推挙されて着座した。 しかしながらイオアンがその地位に着く事に反対し、着座後もその地位を嫉むアレクサンドリア大主教セオフィロスや、イオアンから職務怠慢によって叱責を受けたり免職された神品達はイオアンを憎んでいた。 金持ちの婦人の奢侈を戒めるイオアンの説教について、皇后を指しているのだと讒言した人々があった。このことで怒った東ローマ皇帝アルカディウスの皇后アエリア・エウドクシアは、大主教セオフィロスおよびイオアンに反感を抱く主教達と結託し、皇帝にイオアンを告発した。 その後、イオアンを守ろうとする民衆と、皇帝側の役人の間で小競り合いが何度も繰り返され、その度にイオアンに対しては捕縛と釈放が繰り返されたが、結局ニケーアへの流刑となった。ニケーアに到着後、カッパドキアのククスス(en:Göksun)に流刑先が変更された。流刑先にはイオアンを慕う多くの人々が訪れ、イオアンを物心両面から支援した。