
ジョン・ケイル(John Cale)
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ジョン・ケイル(John Cale、1942年3月9日 - )は、ウェールズ出身のミュージシャン。アメリカでヴェルヴェット・アンダーグラウンドのオリジナル・メンバーとして活動した後、自己名義の作品を多数発表し、音楽プロデューサーとしても活動。 来歴 1942年3月9日に南ウェールズのクライナントにて生まれ、17歳まで過ごす。幼い頃からヴィオラやピアノを学んでいた。 1960年からの3年間、ロンドン大学のゴールドスミス・カレッジで主に音楽論学に関する長い学術論文に取り組む。イギリス人作曲家ハンフリー・サールのパフォーマンスや電子音楽に惹かれていき、ジョン・ケージに人生で最初の重大な影響を受けた。 1963年、イギリス滞在中に彼の演奏を見てその才能に注目したアーロン・コープランドの計らいで奨学金を受けて、マサチューセッツ州レノックスにあるイーストマン音楽学院タングルウッド校に夏の間留学した。その後、フランス系ギリシャ人の作曲家ヤニス・クセナキスの下で現代作曲法を学ぶため、初めてアメリカに渡った。ニューヨークに辿り着いた彼はそこで、ケージに次ぐ多大な影響を受けることになるラ・モンテ・ヤングに出会った。後に彼は「音楽的規律を学び、それを導入する過程において、おそらくラ・モンテ・ヤングとの出会いは自分の中でも最も大きな役割を果たしたと言える」と語っている。 その後、シアター・オブ・エターナル・ミュージック(別名、ドリーム・シンジケート)という音楽家集団に所属し、ミニマル・ミュージックの作品を作曲。この時期の作品は、2001年にテーブル・オブ・エレメンツというレーベルからCD化された。 1965年にルー・リードと出会い、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成。『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』(1967年)と『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』(1968年)の2作のアルバムに参加した後、リードとの関係が悪化してヴェルヴェット・アンダーグラウンドを脱退させられる。メンバーのスターリング・モリソンによれば、リードは「もしケイルが辞めないなら自分が辞める」とまで発言したという。 1970年にソロ活動を開始。内容はボーカル入りのロック・アルバムやインストゥルメンタルによる実験音楽など多岐にわたり、広範な音楽性を呈した。またテリー・ライリーやブライアン・イーノ等と共演した他、音楽プロデューサーとしてザ・ストゥージズ、パティ・スミスなど様々なアーティストの作品を手がけてもいる。 1990年、旧友リードとの共作アルバム『ソングス・フォー・ドレラ』発表。1993年にはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの再結成とヨーロッパ・ツアーに参加した。