
ジミー・ペイジ(Jimmy Page)
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この人は?
ジェームズ・パトリック・ペイジ OBE(英語: James Patrick Page, 1944年1月9日 - )は、イギリスのロックギタリスト、作曲家。ハードロックの代表バンドとして知られるレッド・ツェッペリンのギタリスト兼リーダー、プロデューサーだった。ロンドン出身。身長180cm。 2023年のローリング・ストーン誌「歴史上最も偉大な250人のギタリスト」において、1位のジミ・ヘンドリックス、2位のチャック・ベリーに続く3位であった。 活動及びキャリア アート・スクール、セッションマン時代 中等学校を中退後、ニール・クリスチャンのバンド・THE CRUSADERSに所属し、2年間ライブ活動を行う。THE CRUSADERを脱退した1963年頃、絵画に興味があったペイジは基礎的な美術の授業を提供しているアートスクールに在学しながらセッション・ギタリストとして活躍、数々のレコードに参加する。当初は「クルセイダーズ」などにも参加し、パーマネントなバンドでの活動を志望していたが、体調不良から断念することになる。セッションマン時代は、主に師匠格のビッグ・ジム・サリヴァンと行動を共にしており、ビッグ・ジムに対して「リトル・ジム」の愛称で親しまれていた。 ペイジは後にアートスクールを退学、プロのセッション・ギタリスト1本に志向するようになる。以下にセッションマン時代の主な活動を記す。 1964年、アビー・ロード第一スタジオでジョン・バリー指揮シャーリー・バッシーのヴォーカルによる、映画「007/ゴールドフィンガー」主題曲のレコーディングにアコースティック・ギターで参加。 ニコの1965年のシングル「I'm Not Sayin'」をプロデュース。 ザ・フーの数曲(「アイ・キャント・エクスプレイン」「ボールド・ヘッデッド・ウーマン」など)に参加。 1966年にデビューしたフランスのミッシェル・ポルナレフのレコードにも参加。 1969年に発表されたジョー・コッカーのデビュー盤『心の友』でのハイライト曲「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・マイ・フレンズ」は同年のウッドストック・フェスティバルでのパフォーマンスが有名だが、元のビートルズ作品を3拍子のゴスペル調にアレンジし直したのはペイジであり、イントロでの印象的なディストーションの効いたダブル・チョーキングも含めて、コッカーのデビュー盤ではペイジが10曲中5曲に参加している。 当時は演者側、セッションマン側、プロデューサー側それぞれに守秘義務があり、ペイジ自身も自分のどのプレイがどこで使用されているのか知らされないことも多かったと発言している。また、プロデューサー側も保険をかける意味でセッションマンを雇うときもあり、演奏したものが一切使用されなかったことも度々あったという。