
ジェファーソン・デイヴィス(Jefferson Davis)
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ジェファーソン・フィニス・デイヴィス(Jefferson Finis Davis, 1808年6月3日 - 1889年12月6日)は、アメリカ合衆国及びアメリカ連合国の軍人、政治家。政治家や軍人として様々な経歴を重ねているが、歴史上は主に南北戦争の際に分離独立したアメリカ連合国における、唯一の大統領として記憶されている。 概要 米国陸軍士官学校(ウェストポイント)の士官候補生として歴史上に現れ、一時的な退役期間を挟みつつ米墨戦争でミシシッピ州義勇軍を指揮し、戦後に政治家へ転身してフランクリン・ピアースの秘書となった。政界ではミシシッピ州選出の下院議員となり、更に上院議員へ転じて上院軍事委員会委員長を務めた。また、政界における恩人であるピアースが合衆国大統領に就任すると、陸軍長官として入閣を果たした。 南部分離に関する政治対立が決定的になるとデイヴィスは南部出身者として、また南部諸州の一角を占めるミシシッピ州の代弁者として立場を決めねばならなかった。デイヴィス個人は内戦やその根源的な理由である奴隷制維持を支持しなかったが、分権論者として地方政府が中央政府から離脱することは連邦制における自治権の範囲であると結論した。1861年1月21日にデイヴィスはミシシッピ州の連邦離脱を支持する演説を行った後、自らも合衆国議会の議席を放棄すると宣言した。1861年2月18日、アメリカ連合国が組織されるとデイヴィスは連合国臨時議会により暫定大統領に選出され、同年の間に正規の初代大統領(任期6年)に就任した。 連合国大統領としてデイヴィスは開始された南北戦争における国家指導を担当したが、総論からいって連合国より遥かに豊かで、また政治的にも結束している合衆国に対抗する方策を見つけることができなかった。外交面では欧州の有力国からは何の支持を得ることもできず、経済面でも独立によって混乱する南部経済の組織化に失敗し、急場を凌ぐために行われた紙幣乱造は南部独立通貨の価値を不安定化させた。統率面でも歴史学者ベル・I・ウィレーによれば、デイヴィスの性格や気質は国家指導者として不利に働いたと評されている。デイヴィスはどんな細事でも自らの手で決裁することを望み、極端に委任を拒む彼の行動はしばしば各部門の責任者との衝突を生んだ。またお世辞にも柔和とは言い難く、むしろ神経質な人嫌いであったデイヴィスは民衆からの人気も今ひとつであり、本人も国民に好かれようと努力しなかった。気難しい性格は人事面にも悪影響を与え、自らの好悪感情より能力の有無を優先するという冷静な判断に欠けていた。