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ジャン・ラシーヌ

ジャン・ラシーヌ(Jean Racine)

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ジャン・バティスト・ラシーヌ(Jean Baptiste Racine,1639年12月21日誕生、12月22日受洗 - 1699年4月21日没)は、17世紀フランスの劇作家で、フランス古典主義を代表する悲劇作家である。 ピエール・コルネイユ、モリエールと共に、三大フランス古典作家とされる。 伝記 シャンパーニュ地方のラ・フェルテ=ミロンに生まれる。幼少時に両親を亡くし、ジャンセニスムの影響下にあるポール・ロワイヤル修道院の付属学校で、厳格なカトリック教育を受ける。ラシーヌはこの学校で古典文学に対する教養と、ジャンセニスムの世界観を身につけた。このことは後のラシーヌの作品に深い影響を及ぼす。名門校コレージュ・ダルクールに進学することでパリ生活を初めて経験し、文学へ傾斜し始める。18歳の時にルイ14世の結婚を祝したオードを書き、はからずも褒賞を受けたのがきっかけで詩作に専念するようになった。1667年に悲劇「アンドロマック」のために格別の厚遇を得て、レピネの小修道院長の肩書を与えられる。1677年、悲劇「フェードル」上演にあたってゲゴネー座と抗争したことをきっかけとして劇作からは離れ、国王の修史官としての職務に励むようになる。1692年から4年間は国王に同行して戦場をめぐり、ヴェルサイユ宮殿やフォンテーヌブローに自室を与えられ、貴族を差し置いて王に面会を許されるというくらい寵愛をされていた。 作風 その悲劇作品のほとんどは、三一致の法則を厳格に守り、主にギリシア神話、古代ローマの史実に題材をとる。『旧約聖書』に題材をとるものを、ラシーヌは悲劇とせず史劇と呼んだ。 ラシーヌは均整の取れた人物描写と劇的な筋の構成を、アレクサンドラン詩行と呼ばれるイアンボス6詩脚の丹精で華麗な韻文に綴った。後期の『聖書』を題材とする作品を除けば、ラシーヌの劇は、二人の若い恋人を中心とするものが多い。二人は愛し合っているが、女性が王など高位の男性に望まれる、あるいは二人が敵対しあう家系にいるなどして、恋愛は成就しない。この葛藤がラシーヌの悲劇の中心となる。これに第三者の嫉妬、政治闘争などが加わり筋が複雑になり、最終的に二人の恋は成就せず、主人公の死をもって幕が下りる。

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