
Jean Moulin
このスターに新着があれば通知でお届け
日別に見る
この人は?
ジャン・ムーラン(Jean Moulin, 1899年6月20日 - 1943年7月8日)は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるフランス占領に抵抗したレジスタンス運動指導者。シャルル・ド・ゴールの特命を受けてレジスタンス諸派の統一に尽力したが、ナチスに捕らえられて激しい拷問を受けたが情報を漏らさず、ドイツ本国への移送中に死亡し、フランスでは現代に至るまで英雄視されている。大戦初期までは知事など官僚、政治家を務めた。 生涯 生い立ちから戦間期まで 地中海に面する南仏のベジエで生まれた。父親は、ベジエのコレージュでラテン語やフランス語、歴史の教師をしていた。 政治姿勢は中道に位置していた。 ジャン・ムーランは第一次世界大戦中の1917年、レイモン・ポアンカレ大統領の時代、モンペリエ大学の法学部に通い、そして、エロー県公務員として登録された。大戦末期の1918年にはフランス軍に徴兵され国内各地を巡ったが、戦闘に従事しないうちに大戦はフランスなどがドイツ帝国に勝利して終結し、モンペリエで復員した。1920年、政府の公務員となり、学生組合の副議長を務め、また「共和国青年」のメンバーとなる。1922年に、アレクサンドル・ミルラン大統領時代の1922年、シャンベリーを県庁所在地とするサヴォワ県で、官選知事下の一員として管理職となる。 1925年にピエール・コットと出会い、1925年から1930年の間、アルベールヴィル下位官選知事であった。ガストン・ドゥメルグ大統領時代、フランスで最も若い郡長となる。この間1926年9月にマーガレット・セルッティと結婚するも、1928年に離婚している。 1930年、シャトーランの郡長であった彼は、新聞に風刺漫画を描いたり、トルリスタン・コルビリエールのイラストレーターを務めたりしていた。ペンネームは「ロマナン」で、南仏プロヴァンス地方、アルピーユ山脈麓の村エガリエール近郊にある城から採った。子供時代から絵が得意だったジャンは風刺画家になることが夢で、父親から「それでは稼げない」と言われ公務員になったものの芸術への関わりは持ち続け、首都パリで芸術家たちが集うモンパルナスに通った。渡仏していた日本人画家藤田嗣治とも交流があり、ジャンが1930年に描いた『モンパルナスの飢えた人々』には、右下に藤田も大きく描かれている。この頃、セント・ポル・ロクスやマックス・ジャコブなどとも知己になった。