
ジャン=クロード・ユンケル(Jean-Claude Juncker)
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この人は?
ジャン=クロード・ユンケル(Jean-Claude Juncker、1954年12月9日 - )は、ルクセンブルクの政治家。キリスト教社会人民党元党首。第12代欧州委員会委員長(在任: 2014年11月1日 - 2019年11月30日)、首相、財務大臣を務めた。 政界入りまで 1954年12月9日にルダンジュで誕生し、少年時代の大半をベルヴォーで過ごした。父親はドイツ国防軍に徴発されて第二次世界大戦を戦い、終戦後は製鋼工となり、キリスト教労働組合連盟に入る。ユンケルはベルギーのクレールフォンテーヌで学び、ルクセンブルクに戻ったのちはリセ・ミシェル・ロダンジュでヨーロッパ・バカロレアを得た。この時期と重なる1974年、ユンケルはキリスト教社会人民党に入党する。ユンケルはストラスブール大学で法学を学び、1979年に法学修士を取得する。1980年にルクセンブルクの弁護士会に入るも、ユンケルは実際に弁護士として活動しなかった。 政界入り後 ルクセンブルクに戻ったユンケルはその演説の能力が買われ、政務官に抜擢される。1984年の選挙でユンケルは代議院議員に当選し、サンテール政権の労働大臣に任命される。労働大臣就任によってユンケルは欧州諸共同体理事会の会合で議長を務める機会を得ることになり、このことはユンケルのヨーロッパ連邦主義の現れとなった。 1989年の総選挙の直前にユンケルは交通事故で重傷を負い、2週間にわたって昏睡状態となった。しかしながらユンケルは選挙までに回復し、再び代議院議員に当選して労働大臣に加えて財務大臣を兼ねることとなった。ルクセンブルクでは、財務大臣を経験するということは首相候補の通過儀礼と考えられているため、ユンケルが将来首相となることが確実となったということを示し、政治評論家からはサンテールがユンケルを自らの後継者として育てることを明らかにしたと評した。またこのときユンケルは世界銀行総務の就任を受諾している。 首相就任まで ユンケルの2回目の当選で、ヨーロッパ連合におけるユンケルの地位が高まった。ユンケルは経済・財務理事会の議長を務め、マーストリヒト条約の準備で重要な役割を果たした。特にユンケルは後のユーロ創設にいたる経済通貨統合に関する規定で大きな影響力を発揮し、また1992年に自身の手で条約に署名した。この時までにユンケルはキリスト教社会人民党の議会代表となっていた。