
ハビエル・マスチェラーノ(Javier Mascherano)
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ハビエル・アレハンドロ・マスチェラーノ(Javier Alejandro Mascherano, 1984年6月8日 - )は、アルゼンチン・サンタフェ州サンロレンソ出身のイタリア系アルゼンチン人の元サッカー選手、現サッカー指導者。元アルゼンチン代表。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。イタリア国籍を保持しているため、ハビエル・マスケラーノと表記されることもある。 ディエゴ・マラドーナ監督就任後、アルゼンチン代表のキャプテンを務めた。 クラブ経歴 リーベル・プレート 地元のクラブでプレーしていた頃はフォワードだったが、ニューウェルズ・オールドボーイズでプレーしていた元プロサッカー選手である父親がコーチを務めていたクラブに入団してミッドフィールダーにコンバートされた。14歳でリーベル・プレートの下部組織に入団した。2003年7月、アルゼンチン代表デビュー直後にトップチーム登録され、2004年にはクラウスーラ(後期リーグ)でリーグ優勝を果たした。同年のコパ・リベルタドーレスでは準決勝まで勝ち進んだが、そこで地元ライバルのボカ・ジュニアーズに敗れて決勝進出はならなかった。レアル・マドリードやデポルティーボ・ラ・コルーニャなど複数の欧州クラブが興味を示していたが、リーベル・プレートは認めず、アルゼンチンにとどまっている。2004-05シーズンはあまり成功だったとは言えず、クラウスーラは3位、アペルトゥーラ(前期リーグ)は10位に終わった。コパ・リベルタドーレスでは再び準決勝まで進んだが、ブラジルのサンパウロFCに敗れた。 コリンチャンス 2005年のコンフェデレーションズカップ後、1500万ドルの移籍金でブラジルのコリンチャンスに移籍した。シーズン中盤に加入したコリンチャンスで9試合に出場した後、2005年9月に左足を疲労骨折し、シーズン終盤を棒にふった。6ヶ月の離脱の後、2006年3月5日に復帰している。FIFAワールドカップによって中断された2006年シーズンはブラジル・セリエB(2部)降格の危機にあったが、相変わらず欧州のクラブからの関心が報道された。 ウェストハム・ユナイテッド 2006年夏の移籍期間が閉まる直前、コリンチャンスの同僚FWカルロス・テベスと共にイングランドのウェストハム・ユナイテッドへ移籍した。この移籍に関して、本当にウェストハムが彼の保有権を持っているのか、もしくは第三者が登録書を持っているのか、また高額のオファーがウェストハムに来た際は売却を強制させられるのかどうかなどが噂された。