
Javier Clemente
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ハビエル・クレメンテ・ラサロ(Javier Clemente Lázaro, 1950年3月12日 - )は、スペイン・ビスカヤ県バラカルド出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFWであった。 経歴 アスレティック・ビルバオを率いて、1982-83、1983-84シーズンとリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たした。この2シーズンとRCDエスパニョールを率いていた1986-87シーズンにドン・バロン・アワードのリーグ最優秀監督に選ばれた。 スペイン代表監督 1992年から1998年まではスペイン代表の指揮を執り、94年のアメリカW杯、96年のUEFA欧州選手権1996、98年のフランスW杯に出場している。在任中には31戦無敗の記録を打ちたてた。1996年のアトランタ五輪も指揮した。 英国の影響が強いビルバオで育ったということもあってか、フィジカルの強さと闘志溢れる選手を好む傾向か見られた。また、相手に合わせて戦術や先発メンバーを変えてくる傾向も見られ、名選手だったフェルナンド・イエロやジョセップ・グアルディオラがベンチスタートということも珍しくなかった。 アメリカW杯ではベスト8に進出し、イタリアとの対戦でも優勢に試合を進めていたが、1-1の同点の場面でフリオ・サリナスがGKとの1対1という決定的な局面でシュートを阻まれたことに加え、ペナルティエリア内マウロ・タソッティが試合終了間際に犯したルイス・エンリケの鼻への肘打ちがレフェリーの死角で見逃される不運もあってPKという絶好の同点のチャンスとはならず、(タソッティにはこの試合後に8試合の出場停止という異例の重い処分が下されている)1-2と惜敗。この大会でも明らかになった点取り屋の人材不足が、この後にも重くのしかかることになる。 96年の欧州選手権ではフランス、ルーマニア、ブルガリアが同居する死のグループを1勝2分けでしぶとく突破し、準々決勝では地元のイングランドと対戦。サッカーの母国相手に互角の試合展開となったがフリオ・サリナスのゴールがオフサイドと判定されて結局スコアレスドローのままPK戦にもつれ込み、2-4で敗れた。 その後上記にもある31戦無配記録を打ち立てた。その中には欧州選手権準優勝のチェコ、実力国のユーゴスラビアとのW杯予選の対戦成績も含まれており、下馬評でスペインをフランスW杯の優勝候補の一角に挙げる大きな要因となった。メンバーもイエロやルイス・エンリケといった就任当時から主力として活躍してきたメンバーの多くが成熟期を迎え、課題だったFWにもラウル・ゴンサレスやフェルナンド・モリエンテスといった活きのいい若手が台頭し、選手層でも充実の時を迎えていた。