
ジェイムズ・フェニモア・クーパー(James Fenimore Cooper)
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ジェイムズ・フェニモア・クーパー(James Fenimore Cooper,1789年9月15日 - 1851年9月14日)は、アメリカの作家・批評家。著作『モヒカン族の最後』は『ラスト・オブ・モヒカン』などとして映画化されている。 人物 ニュージャージー州バーリントンに生まれ、ニューヨーク州クーパーズタウンで育つ。1803年イェール大学に入学したが素行不良のため放校処分になり、1806年から商船の水夫、海軍士官候補生となる。1811年、ニューヨークの名門家庭の子女と結婚。 初期のキャリア 1820年、妻の勧めにより小説を書き始めた。クーパーは”Precaution”と呼ばれる童貞作(a neophyte novel set)を書きあげた。道徳と作法が作品のテーマになっており、ジェーン・オースティンのフィクションへのアプローチに影響されたものであった。彼は匿名で”Precaution”を発表したが、これはアメリカとイギリスでやや好意的な反応を得た。 対照的に彼の2番目の小説"The Spy"(1821)は、隣人で家族ぐるみでの付き合いがあった政治家ジョン・ジェイから聞いたアメリカの物語(独立戦争中にジェイがウェストチェスター郡で防諜活動を行っていた経験を基にした話)に触発されたものであった。それは、アメリカ人によって執筆され国内外でベストセラーになった最初の小説となり、何度か重版がかかった。 5部作「革脚絆物語」の初めの3作を発表した1820年代には、クーパーはアメリカでスコットランドの詩人・作家ウォルター・スコットと並ぶベストセラー作家になっていた。 1822年から1826年までクーパー家はニューヨークに住んでいた。 1823年、彼はニューヨークを拠点とする知的集団"Bread and Cheese Club"(パンとチーズクラブ)を組織し("the Lunch"や"the Lunch Club"とも呼ばれた)、アメリカの作家、編集者、芸術家、学者、教育者、芸術利用者、商人、弁護士、政治家などを集め、それは35人のメンバーから成るグループであった。グループの文藝パートは"Knickerbocker Group"(作家の集団で、ワシントン・アーヴィング、クーパー、ウィリアム・カレン・ブライアントらが所属していた。グループの名称はアーヴィングの歴史家ペルソナ「ディートリッヒ・ニッカボッカー」から取られている)から派生したものであった。 1824年、ラファイエット将軍がフランスからニューヨーク市キャッスル・ガーデンにカドムス船(Cadmus)に乗って国賓としてやってきた際、クーパーは彼の到着を目撃し、歓迎と娯楽のために活動した委員会のメンバーの1人であった。