
ジェームズ・キャラハン(James Callaghan)
このスターに新着があれば通知でお届け
日別に見る
この人は?
カーディフのキャラハン男爵レナード・ジェームズ・キャラハン(英語: Leonard James Callaghan, Baron Callaghan of Cardiff、1912年3月27日 – 2005年3月26日)は、イギリスの政治家。財務大臣、内務大臣、外務・英連邦大臣、首相を歴任した。労働党の「巨人」と称された他にも「サニー・ジム」や「ビッグ・ジム」の愛称があった。なお首相に就任する前にグレート・オフィス・オブ・ステートと呼ばれる3ポスト(財務大臣・内務大臣・外務大臣)を経験したのは、20世紀ではキャラハンが初めてであった。 生涯 生い立ち ジェームズ・キャラハン(James Callaghan、1877年1月 – 1921年10月、ジェームズ・ギャログハンの息子)と妻シャーロット・ガートルード(Charlotte Gertrude、ウィリアム・ヘンリー・カンディーの娘)の息子として、1912年3月27日に生まれた。曽祖父はアイルランドの織工だったが、ジャガイモ飢饉によりイングランドのコヴェントリーに移住した。父は1890年代に家出してイギリス海軍に入ったため、親に見つからないよう苗字をギャログハン(Garoghan)からキャラハン(Callaghan)を変えており、海軍の軍人として1916年にユトランド沖海戦に参戦したという経歴を持つ人物だったが、キャラハンが9歳のときに死去した。1人の姉ドロシー(1904年生まれ)がいた。ポーツマス北中学(Portsmouth Northern Secondary School)で教育を受けた後、1929年に税務署職員として働き始めた。すぐに組合活動を始め、1936年から1947年まで全国税務職員組合の副書記長を務めた。 1945年にカーディフ・サウス選挙区で当選して労働党の庶民院議員となり、1947年から1950年まで運輸省政務次官を務め、1950年から1951年まで海軍本部政務次官を務めた。以降選挙区の変遷(1950年から1983年までカーディフ・サウス・イースト選挙区、1983年から1987年までカーディフ・サウス・アンド・ペナース選挙区)はあったが、政界引退まで庶民院議員に当選し続けた。 ウィルソン政権時代 1961年から1964年まで影の財務大臣を務め、1963年1月に労働党党首のヒュー・ゲイツケルが急死すると、右派の一部の支持を得て党首選挙に立候補する。結果は最下位(3位)に終わったが、1964年にハロルド・ウィルソン内閣が発足すると、財務大臣として閣僚入りした。ここでキャラハンは国際収支赤字に苦しむポンドの防衛に対応することとなるが、これに失敗してポンド売りが殺到してしまう。1967年に財務大臣から内務大臣に転じた。