
ロバート・オッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer)
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J・ロバート・オッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer、1904年4月22日 - 1967年2月18日)は、アメリカ合衆国の理論物理学者。第二次世界大戦中に原子爆弾開発の指導者的役割を果たしたため、「原爆の父」として知られる。 ニューヨーク生まれ。1922年からハーバード大学で化学を専攻した後、物理学に興味を持ち、イギリスのケンブリッジ大学に留学。1926年にドイツのゲッティンゲン大学に移り、マックス・ボルンの指導を受け、1927年に博士号を取得した。帰国後はカリフォルニア大学バークレー校やカリフォルニア工科大学の助教授となり、1936年には両大学の教授となった。オッペンハイマーは理論物理学者として、量子力学におけるボルン-オッペンハイマー近似、陽電子の予知、中性子星に関する研究(トルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ限界)、ブラックホール理論など、広範囲な領域にわたって大きな業績を上げた。1963年にはエンリコ・フェルミ賞を受賞している。 1942年、アメリカで原子爆弾開発計画「マンハッタン計画」が開始され、オッペンハイマーは責任者のレズリー・グローヴス大佐からの指名を契機とし科学部門の責任者に任命された。1943年からはロスアラモス国立研究所の所長として原子爆弾開発を先導した。ここで開発された原子爆弾は、1945年7月に行われたトリニティ実験を経て、同年8月に日本の広島市と長崎市に投下された。 終戦後の1947年からアメリカの原子力委員会の一般諮問委員会に参画し、原子力の国際管理の必要性を主張したほか、ソビエト連邦の原爆実験成功を受けて議論されたアメリカの水素爆弾の開発に反対した。1954年、過去の共産党との関わりや水爆開発反対を理由に聴聞会が行われ、結果、オッペンハイマーは公職を追放された。この処分は68年を経た2022年に「偏見に基づく不公正な手続きであった」として取り消された。公職追放後は1966年までプリンストン高等研究所所長を務め、1967年2月に咽頭がんにより死去した。 経歴 生い立ち 1904年4月22日、ドイツからのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれた。父はドイツで生まれ、17歳でアメリカに渡ったジュリアス、母はアシュケナジムの画家エラ・フリードマンである。弟のフランク・オッペンハイマーも後に物理学者となる。ロバートの次にルイスという男児がいたが、生後間もなく死亡した。名前の先頭にある「J」は、ジュリアスが自身のイニシャルをつけたとされる。後年、ロバートは、このイニシャルの由来を聞かれ、特に意味は無いと答えている。オッペンハイマー家はユダヤ人であったが、ユダヤ教への信仰はなかった。1911年9月、倫理文化学園に入学する。