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イヴァン・ヴァゾフ

イヴァン・ヴァゾフ(Ivan Vazov)

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この人は?

イヴァン・ミンチョフ・ヴァゾフ(Иван Минчов Вазов; 1850年7月9日 – 1921年9月22日)は、ブルガリアの詩人、小説家、劇作家。「ブルガリア文学の祖」と目されることも多い。1888年の小説『軛の下で』は30以上の言語に翻訳されている。イヴァン・ヴァゾフ国立図書館、イヴァン・ヴァゾフ国立劇場は彼の名をとって命名されている。 生涯 幼少期 ミンチョホ・ヴァゾフとサバ・ヴァゾフのあいだにソポトで生まれる。商人の家庭。伝統的自意識が強かった家柄であり、兄弟にブルガリアの革命家でのちに国軍の将軍になるゲオルギ・ヴァゾフやウラジミール・ヴァゾフ、また、政治家になったボリス・ヴァゾフがいる。ボリスによればヴァゾフ家はテペデレンリ・アリー・パシャの治世中に現在のギリシャ地域カストリア地区にあたる村ヤノベニから逃れる形で来たという。 イヴァン・ヴァゾフはソポトでブルガリア修道院付属の学校や中等学校を卒業。早い時期からブルガリアや外国の文学と出会う。ヴァゾフはロシア関係を専門とする先生パルテニー・ベルチュヘフから初めてロシア詩やブルガリアの革命作品に触れる。1865年、ヴァゾフはカロフェルにある学校で教師のボトヨ・ペトコフ(ブルガリアの詩人で独立革命家のフリスト・ボテフの父親)からギリシャ語の手ほどきを受ける。ヴァゾフはフランス文学やロシア文学の作品がふんだんにあった蔵書を見つけ、耽読、以後の文語的発達に寄与する。1866年、青年ヴァゾフは父によってプロヴディフに送られ、高等学校の4年生に在籍する。父はヴァゾフがギリシャ語を上達し、さらにトルコ語を学ぶことを望んでいたけれども、ヴァゾフはフランス語を学び、ピエール=ジャン・ド・ベランジェ、ヴィクトル・ユゴー、アルフォンス・ド・ラマルティーヌといったフランスの詩人たちの詩を読んでいた。2年後、彼は父から事業を引き継ぐためソポトに帰郷する。けれども青年イヴァンは事業にほとんど関心を示さず、はやくも事業書の代わりに韻文の書物に熱中。イヴァンは母サバから支援を受ける。このころに書かれた詩の多くは後年になって『マイスカ キトカ』 (Майска китка)と題されたうえで1880年に出版される。

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