
イヴァン4世(Ivan the Terrible)
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イヴァン4世(Иван IV Васильевич / Ivan IV Vasil'evich、1530年8月25日-1584年3月18日 / グレゴリオ暦3月28日)は、モスクワ大公(在位1533年 - 1547年)、モスクワ・ロシアの初代ツァーリ(在位1547年 - 1574年、1576年 - 1584年)。イヴァン雷帝(Иван Грозный / Ivan Groznyi)という異称でも知られる。当時の表記はヨアン4世またはイオアン4世(Иоан IV / Ioan IV)、しかし当時発行された貨幣には、 Иван 又は Iван と表記された。ヴァシーリー3世の長男、母はエレナ・グリンスカヤ。後のソビエト連邦で最高指導者となるヨシフ・スターリンにも影響を与えた。 主な事績 対外的には、東方へ領土を拡大してアストラハン・ハン国とカザン・ハン国をモスクワ国家に組み入れ、治世末期にはシビル・ハン国の征服事業も成功裡に進んでいた。しかし、西部国境で長年にわたって続けられたリヴォニア戦争は完全な失敗に終わり、国内を激しく疲弊させる結果となった。内政面では、16世紀ヨーロッパにおける絶対君主制の発展の中で、ツァーリズムと呼ばれるロシア型の専制政治を志向し、大貴族の専横を抑えることに精力を傾注した。1547年に「全ルーシのツァーリ」の公称を開始。行政・軍事の積極的な改革や、大貴族を排除した官僚による政治を試みた反面、強引な圧政や大規模な粛清、恐怖政治というマイナス面も生じたため、全土にわたって経済は低迷し、耕作地の放置が相次いだ。それを防ぐために、農民が土地から離れることを禁じた「禁止年実施令」は、農民の領主への依存を強め、農奴制の下地となった。結果的に大貴族層は権力を保持し、イヴァン4世亡き後のツァーリ権力の弱体化に乗じ、ロマノフ朝の成立までモスクワ国家を実質的に支配することになる。 生涯 親政以前 出自 1530年8月25日、イヴァン4世はクレムリンのテレムノイ宮殿で生まれた。長く後継者のいなかったヴァシーリー3世にとっては待望の嫡男だったが、1525年に正教会の猛反対を押し切って不妊の先妻を追放し、イヴァン4世の母エレナを妻に迎えていることから、イェルサレム総主教はこの結婚を「邪悪な息子をもつだろう」と呪ったとされる。なお、エレナは1380年のクリコヴォの戦いでドミートリー・ドンスコイに敗れたジョチ・ウルスの有力者、ママイの子孫と言われており、イヴァン4世はクリコヴォの戦いにおける勝者と敗者双方の血を引くことになる。