
イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman)
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エルンスト・イングマール・ベルイマン(Ernst Ingmar Bergman〈 発音〉、1918年7月14日 - 2007年7月30日)は、スウェーデンの映画監督、脚本家、舞台演出家。「神の沈黙」「愛と憎悪」「生と死」などを主要なモチーフに、映画史に残る数多くの名作を発表した。 生涯 イングマール・ベルイマンは1918年7月14日、スウェーデンのウプサラで生まれた。父は牧師であり、兄のダーグは外交官、妹のマルガレータはのちに小説家となった。ベルイマン家は首都ストックホルムで生活しており、ベルイマンもそこで育ち、1937年にはストックホルム高等学校(現ストックホルム大学)の文学・美術史学科に入学して、舞台演出の道へと進んだ。 1942年には映画会社のスヴェンスク・フィルム社に入社し、1943年にはエルセ・フィシェルと結婚。なお、1945年にエルセとは離婚し、その後も多くの女性と結婚と離婚を繰り返して、ベルイマンは通算で5度の結婚を行った。1944年、アルフ・シェーベルイ監督の『もだえ』の脚本を手がけた。また同年、ヘルシンボリ市立劇場の主任演出家となり、その後もヨーテボリやノーショーピング、マルメ、ストックホルムなどの都市で舞台演出を行った。 1945年、『危機』で映画監督としてデビューし、その後、数本の低予算映画の中で自らのスタイルを模索する。 1950年、『夏の遊び』の頃から映画監督ベルイマンとしてのスタイルを確立した。 1952年、『不良少女モニカ』でフランスのヌーヴェル・ヴァーグの作家たちに賞賛される。 しかし、批評家から激賞されても興行的な成功を中々出せず、プロデューサーからも「次回作で興行的な成功がなければ二度と映画は撮らせない」と圧力を掛けられる。そんな中で制作した1955年公開の『夏の夜は三たび微笑む』が翌年のカンヌ国際映画祭にて特設賞である「詩的ユーモア賞」(仏語:Prix de l'humour poétique)を受賞し、国際的な評価を得ると同時にスウェーデン国内でも大成功を収めた。 1950年代後半からは『夏の夜は三たび微笑む』での成功により得た映画制作の自由のもと、立て続けに良作を発表。神の存在をテーマとした『第七の封印』(1957年)では、再びカンヌ国際映画祭に出品され、審査員特別賞を受賞し、2年連続受賞を果たす。人生の老いについて普遍的に描いた『野いちご』(1958年)では、ベルリン国際映画祭でグランプリにあたる金熊賞を受賞。権力と迷信の対立をコメディタッチに描いた『魔術師』(1958年)では、ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、数年のうちに世界三大映画祭の主要部門を制覇する。