
イメルダ・マルコス(Imelda Marcos)
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イメルダ・マルコス(Imelda Romuáldez Marcos、1929年7月2日 - )は、フィリピンの政治家。フィリピン共和国第10代大統領のフェルディナンド・マルコスの妻であり、同国第17代大統領フィルディナンド・マルコス・ジュニア(ボンボン・マルコス)の実母。前下院議員。 マニラ首都圏知事、環境住居大臣、新社会運動党首を務めた。鋼の蝶(英語: Steel Butterfly) または鉄の蝶(英語: Iron Butterfly)という異名がある。 略歴 生い立ち 1929年、弁護士ヴィセンテ・ロムアルデスと後妻レミディオスの長女としてアメリカの植民地であったフィリピンのマニラで生まれる。異母兄姉が5人おり、その後、弟と妹が5人できた。1歳違いの弟にココイ・ロムアルデスがいる。 1938年、8歳で母レミディオスを肺炎で失い、同じころ、父ヴィセンテの弁護士の仕事も減少した。ヴィセンテは生活上の困難のため出身地レイテ島のタクロバンに家族と帰り、思春期をタクロバンで過ごす。生活は厳しくイメルダは母の形見の装飾品を売って家計の足しにしていた。1938年から1948年の高校卒業まではタクロバンのホーリー・インファント学院で英語を学び、1944年にアメリカ軍がレイテ島に上陸した時はダグラス・マッカーサーの前でフィリピン解放を祝った歌を披露した。第二次世界大戦後の1946年にフィリピンは独立している。1951年セントポール大学で教育学の学士号を得て卒業し、地元の中国人学校の教員を勤めていた。 青年期 1952年、従姉の勧めで従兄の家に同居することになりマニラへ戻った。マニラに来てからは音楽店の歌手として働いていたが父の反対に遭い、1954年までフィリピン中央銀行の秘書として働いていた。また、サント・トーマス大学で声楽を学び、フィリピン女子大学音楽芸術学部の聴講生として勤務の傍らの時間を縫って通っていた。この頃にはミス・コンテストに相次いで出場し、「タクロバンの薔薇」「ミス・レイテ」のタイトルを獲得している。1953年にはマニラ・クロニクルが出版する雑誌「ジス・ウィーク」のバレンタイン特集号で表紙を飾ることとなった。