
イディ・アミン(Idi Amin)
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イディ・アミン・ダダ・ウミー(英語: Idi Amin Dada Oumee, 1928年5月30日 - 2003年8月16日)は、ウガンダの軍人、政治家。第3代大統領。元帥、法学博士の肩書も持つ。身長193cmの巨漢で、東アフリカのボクシングヘビー級チャンピオンになったこともある。1975年にはアフリカ統一機構議長も務めた。 経歴 生い立ち アミンは生涯を通じて自伝や公式の経歴を残さなかったため、出生地や出生日は不詳である。イギリスの植民地時代のウガンダで1925年頃にコボコかカンパラ生まれとする説が多数である。 マケレレ大学のフレッド・グウェデコによれば、アンドレアス・ニャビレ(1889年 – 1976年)の子で、ニャビレはウガンダ北西部の西ナイル地方に住むカクワ族出身で、1910年にカトリックからイスラム教へ改宗し、アミン・ダダに改姓した。イディは父に捨てられ、イディ・アウォ=オンゴ・アンゴー(Idi Awo-Ongo Angoo)の名で母方の家庭で育てられた。グウェデコによれば母はルグバラ族の伝統的なハーブ療法家のアッサ・アアテ(1904年 – 1970年)でブガンダ王室にも患者がいた。 軍歴 イディはボンボのイスラーム学校でコーランを暗唱、雑務を経て、1946年イギリス植民地軍の王立アフリカ小銃隊に炊事係として雇われた。その体格を生かし部隊内の体育大会で活躍し、衆目を集める。 ボクシングではヘビー級チャンピオンになったほか、白人ばかりのウガンダのラグビーチーム唯一の黒人選手として活躍し、植民地軍中尉にまで昇進する。ウガンダ独立後はミルトン・オボテに協力しムテサ2世を排除、ウガンダ軍参謀総長となった。 大統領 権力掌握 ウガンダ軍参謀総長当時の1971年1月、イギリス連邦首脳会議のためオボテが外遊中に軍事クーデターで権力を掌握。1970年代のウガンダに軍事独裁政権を樹立した。オボテが左派的政策を採ったため、アミンは冷戦下において左派政権の排除を望む西側諸国から期待されてクーデターを実行し成功し、クーデターを支持したイギリスやアメリカをはじめとする西側諸国や、イスラエル、反共的なザイールのモブツ・セセ・セコと友好的な関係を持った。 政策 やがて独裁化が進むとともに約10万から50万人と推計される国民を大量虐殺したとして「黒いヒトラー」、「アフリカで最も血にまみれた独裁者」と称され、少数民族、宗教指導者、ジャーナリスト、芸術家、官僚、裁判官、弁護士、学生、知識人、外国人などアミンの政策に異議を唱えた様々な人物が次々に粛清された。ほぼ同時期に大量虐殺を起こして同様に隣国に打倒されたカンボジアの独裁者ポル・ポトとも比較された。