
ヒュパティア(Hypatia)
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ヒュパティア(古代ギリシャ語: Ὑπατία, ラテン文字転写: Hypatia, 350年から370年頃 - 415年3月)は、東ローマ時代のエジプトで活動したギリシャ系の数学者・天文学者・新プラトン主義哲学者。ハイパティアともヒパティアとも呼ばれる。 人物 アレクサンドリアのテオンの娘として生まれ、新プラトン主義の創始者プロティノスと新プラトン主義のシリアでの分派の創設者イアンブリコスの2人の学統を継いだ。400年頃、アレクサンドリアの新プラトン主義哲学の学校長に就任し、プラトンやアリストテレスの思想について講義を行った。当時のヒュパティアとの書簡、例えば、シュネシオスがヒュパティア宛に出した書簡が7通現存している。 ヒュパティアは様々な書物に対して註解を著した。後世の『スーダ辞典』によれば、ディオファントスが著した『算術』にも、ペルガのアポロニウス著の『円錐曲線論』にも、そして、天文のカノンに対しても註解を著したという。父テオンが著した『アルマゲスト解説』第3巻の本文をヒュパティアが校訂したと伝えられる。これらの註解は散逸してしまったが、『算術』の註解はアラビア語訳されたものの一部が断片的に現存している。 アストロラーベ(天体観測儀)とハイドロスコープの発明については、ヒュパティアに意見を求めたシュネシオスの手紙の中で知られていることから、彼女が特に天文学と数学に専念していたことを示している。また、哲学に関する著作物は存在が全く知られていない。 キリスト教との反目 ヒュパティアの哲学は他の新プラトン主義の学校の教義より学術的で、その関心のためか科学的で神秘主義を廃し、しかも妥協しない点では、キリスト教徒からすると全く異端であった。 ヒュパティアのものであると伝えられている「考えるあなたの権利を保有してください。なぜなら、まったく考えないことよりは誤ったことも考えてさえすれば良いのです」とか「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです」といった言動は、当時のキリスト教徒を激怒させた。 その時既にヒュパティアは、キリスト教から見て神に対する冒涜と同一視された思想と学問の象徴とされた。 当時の社会 380年にキリスト教徒のテオドシウス1世は、異端アリウス派と異教に対してローマ帝国全域での迫害の方針を定めた。 391年、テオドシウス1世はアレクサンドリアの司教テオフィロスの求めに答えて、アエギュプトゥスの非キリスト教の宗教施設・神殿を破壊する許可を与えた。暴徒は、サラピス寺院やアレクサンドリア図書館や他の異教の記念碑・神殿を破壊した。その後、393年には暴力、特に略奪とユダヤ人のシナゴーグの破壊を法律で抑えようとの試みがなされた。