
石田ひかり(Hikari Ishida)
石田光
日別に見る
この人は?
石田 ひかり(いしだ ひかり、1972年〈昭和47年〉5月25日 - )は、日本の女優。東京都出身。テンカラット所属。夫はNHK職員(プロデューサー、演出家)の訓覇圭。姉は女優の石田ゆり子。 来歴 幼少期 - デビュー前まで 3人兄妹の末っ子として東京都で誕生した。ひかりという名前は、クリスチャンの両親によって聖書に出てくる言葉から名付けられた。両親は転勤族で、3歳の頃まで兵庫県西宮市で暮らす。 小学校在学中、日本郵船に勤務する父の仕事の関係で台湾で3年ほど過ごす。4歳の時からやっている水泳が得意で、台湾在住の頃に現地の水泳大会で優勝し、現地の新聞に載ったことがある。その当時はジュニアオリンピック出場を目指し、水泳の選手、コーチになりたかったという。帰国後、中学1年生の時に芸能プロダクション・ボックスコーポレーションに二子玉川でスカウトされる(本人は、スカウトされたのが「ちょうどスイミングスクールからの帰り」だったと話している)。姉・ゆり子も1か月ほど前に自由が丘で同社にスカウトされている。スカウトマンは両名を姉妹とは知らずに声をかけたという。姉妹はほぼ同時期に契約を結び、芸能活動を開始した。両親からは水泳を続けるという条件で芸能界入りを許されたという。 デビュー後 アイドル時代の愛称は「ピカ(ちゃん)」。 1986年、『妻たちの課外授業II』(日本テレビ)で女優としてデビューした。その後『花のあすか組!』(1988年)や『ママハハブギ』(1989年)など、テレビドラマに出演した。CMにも多く出演した。また、先述した得意な水泳を生かして芸能人水泳大会などにも出場した。 1987年5月21日、テイチクからシングル「エメラルドの砂」でアイドル歌手としてデビューした。当時中学3年生で14歳だった。その後、シングル10枚、アルバム5枚を発売する。代表曲としては、花王「ピュア」シャンプーのCMイメージ・ソングとなった「く・ち・び・る・♥2」や「恋は確率51%」や尾崎亜美が書きおろした「二人の関係(リエゾン)」などがあるが、本人は「全く売れなくて、辞めたくて仕方がなかった。あの時(アイドル時代)、惨めで恥ずかしいという気持ちしか無かったけど、辞めるなんて言い出せなかった。当時は3か月に一枚はシングルを出して、新曲が出るころにはもう次のレコーディングをしていた時代で、“これ売れないかもしれないのに、いつまでやるのかな”と疑問に思っていた」といったことを後日自嘲気味に話している。
経歴
- 1972Born
- 1991Won Nikkan Sports Film Award for Best Newcomer
- 1992Won Elan d'or Award for Newcomer of the Year
- 1992Won Blue Ribbon Awards for Best Newcomer
豆知識
- •Place of birth: Setagaya
- •Citizenship: Japan
- •Known as: actor, singer
- •Plays: voice
- •Spouse: Kei Kurube