
ヘイダル・アリエフ(Heydar Aliyev)
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ヘイダル・アリルザ=オグル・アリエフ(アゼルバイジャン語: Heydər Əlirza oğlu Əliyev, ゲイダル・アリエヴィチ・アリエフ ロシア語: Гейдар Али́евич Алиев, 1923年5月10日 - 2003年12月12日)は、ソビエト連邦及びアゼルバイジャン共和国の政治家で、第3代大統領(在任∶1993年6月24日 - 2003年10月31日)。ソ連構成国のアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国時代から30年以上にわたってアゼルバイジャン政界を主導し、大統領としても安定した政治を実現してきたが、その権威主義的な強権政治は、アリエフ一族によるアゼルバイジャン社会経済の支配体制と腐敗政治という負の側面をも残した。 妻のザリファ・アズィズ=クズ・アリエヴァ(Zərifə Əziz kızı Əliyeva)との間に一男一女があり、2003年10月15日に行われた大統領選挙で当選したイルハム・アリエフは長男である。 来歴・人物 アゼルバイジャンの飛び地領ナヒチェヴァン自治共和国のアゼルバイジャン人家庭(父アリルザ・アリエフは鉄道員)に生まれる。国立アゼルバイジャン大学歴史学部に入学する。卒業後は1944年にアゼルバイジャン国家安全保障局(NKGB、1945年にKGBとなる)に入り、1967年にはアゼルバイジャンKGBの議長に就任し、2年後の1969年、アゼルバイジャン共産党中央委員会第一書記に選出された。 レオニード・ブレジネフがソ連共産党書記長時代の13年間、第一書記としてアゼルバイジャンの政務を任されたのち、ユーリ・アンドロポフの誘いで1982年12月にソ連中央政界に移り、閣僚会議第一副議長(第一副首相)に就任し、同時にムスリムとしては初となるソ連共産党中央委員会政治局員となった。アリエフの強硬な政治姿勢は、1985年に書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフのペレストロイカと対立し、1987年10月に政治局から辞職、引退を余儀なくされた。 1990年、アリエフは共産党を離党してナヒチェヴァンに帰郷し、同地のアゼルバイジャン人議会議員に選ばれた。翌1991年、アリエフはナヒチェヴァン自治共和国最高議会議長に選出され、同時に、この年ソ連から独立を宣言したアゼルバイジャン本国の最高会議副議長に就任した。そして、ソ連崩壊後に戦争状態に陥ったナゴルノ・カラバフを巡る隣国アルメニアとの紛争の結果、アゼルバイジャン政界が混乱を極めた1993年6月15日、最高会議議長に選ばれ、9日後の6月24日、下院によって大統領に選出された。