
ヘンリク・ムヒタリアン(Henrikh Mkhitaryan)
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ヘンリク・ハムレティ・ムヒタリアン(アルメニア語: Հենրիխ Համլետի Մխիթարյան、Henrikh Hamleti Mkhitaryan[hɛnˈɾiχ məχitʰɑˈɾjɑn] ( 音声ファイル), 1989年1月21日 - )は、アルメニア・ソビエト社会主義共和国 (現アルメニア)・エレバン出身のサッカー選手。セリエA・インテルナツィオナーレ・ミラノ所属。元アルメニア代表。ポジションはMF。 アルメニア代表としては、史上最多得点となる25得点を記録している。 日本のメディアでは『ヘンリク・ミキタリアン』と紹介するスポーツメディアもあり、キッカーの日本語版サイトなどでは同様の紹介がなされている。 生い立ち 1989年1月22日にアルメニア・ソビエト社会主義共和国 (現アルメニア)の首都エレバンで生まれる。かつてFCアララト・エレバンで活躍し、アルメニア代表でのプレー経験があるハムレットを父に持つが、ムヒタリアンが7歳の時にハムレットは脳腫瘍のために33歳で逝去している。また、母マリナ (Marina)は、アルメニアサッカー連盟の代表チーム部門でスタッフを務め、姉モニカ (Monica)はUEFAの本部で働いている。 ムヒタリアンが生まれてから数ヶ月後、父がリーグ・ドゥ (フランス2部)のASOヴァランスでプレーすることに伴い幼少期をフランスで過ごすことになる。1995年にエレバンへ帰国した後は、地元の学校を卒業し、サンクトペテルブルク・エレバン校で経済学を学ぶ。その後、弁護士の勉強を計画している。ジネディーヌ・ジダンがアイドルであり、ジダンのプレーにインスピレーションを受けている。母国語であるアルメニア語の他、フランス語、ポルトガル語、ロシア語、ウクライナ語、英語、ドイツ語、イタリア語の8ヶ国語を操る。 クラブ経歴 ピュニク・エレバン 1995年にフランスから帰国した後は、生まれ故郷のFCピュニク・エレバンの下部組織に入団する。15歳の若さで給与を受け取る等、周囲の期待は大きく、サンパウロFC (ブラジル1部)への数ヶ月の練習参加を経て、ピュニク・エレバンのトップチームに昇格を果たし、2006年の17歳の時にプロデビューを飾った。以来、在籍3年半でリーグ戦70試合30得点含む公式戦89試合35得点を記録し、アルメニア・プレミアリーグ3連覇 (2006、2007、2008)、アルメニア・スーパーカップ2回 (2007、2009)獲得に貢献しており、最後のシーズンとなった2009年シーズンでの得点力に、アルメニア代表と同クラブの双方を率いるヴァルダン・ミナシアン監督から、より大きなリーグでの飛躍を期待された。そして、同シーズンのプレーによって、シーズン途中で移籍することになった。